会社は誰のものか
surveyMLで、「会社は誰のものか」という話題があったので、
以下のような書き込みをしてみました。
もっとも、場違いで素っ頓狂だったのかも、といささか後悔もあります。
まぁ、一応ここに残しておきます。
スレッドで紹介された関連URL
◆吉田望『会社は誰のものか』(新潮新書 121、2005.6)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101211/surveyml03-22
◆「会社は誰のものか!?」〜「株主のもの」派と「社員のもの」派が拮抗
http://www.intage.co.jp/news/2005/nr050622.html
◇企業はだれのものか:整理して考えたほうがいい(t-yamaguchi.net)
http://www.h-yamaguchi.net/2005/03/post_19.html
◇宇野康秀「会社は誰のもの?」(溜池山王で働く社長のブログ)
http://unoblog.ameblo.jp/entry-084b666fec7e25a1e92104015e3876b5.html
◇藤田晋「会社は誰のものか」(渋谷で働く社長のブログ)
http://shibuya.ameblo.jp/entry-bdf1ea9b97dd5e9471202f7982d89eed.html
** 様
「会社は誰のものか」という命題で、株主VS従業員という構図にするのは、私は「経営者の意志(恣意」)という重要な点を忘れてしまう気がします。
“管理者”と呼んだ方が自然なのでしょうけど、経営者たちは何を根拠にその権力を手にして、何を基準にその権力を行使するのか?何が彼らを掣肘するのか?「会社は誰のものか」という疑問は、私はそこが問われているのではないか、と思えてなりません。
従業員のものか、株主のものか、と設問しても、従業員は経営判断などできないわけですし(考えても行使できない)、その会社の資産もろもろの一切を動かしているのは、経営者なのですから、会社は従業員のものといっても無意味に思えてなりません。それは会社は顧客のもの、という事と大した違いはない、と思います。
そして、経営者=従業員の代表であり、彼の判断が従業員の判断であるといえるのでしょうか?会社は従業員のもの、という定義にはなんとなく、そういう前提があるような気がします。
終身雇用が前提ですが、閉じた組織内官僚制度の出世階段を上がることに成功したことが、即ち自分は従業員の代表であり、自分の判断は従業員の判断と誤差もなく合致する、私の判断に異を唱えることは社員誰から見ても誤っている、と言い切れる根拠になるのでしょうか?
もし、本人がそう思い込み、また従業員が彼の決定に異議を唱えないとしても、それは当人が意見を異にする従業員を、出世の過程や手にしたその権力で、一人残らず消してきた結果に過ぎないかもしれません。
経営者は、決して株主と従業員という二つの価値の間に中立的に存在するものではなく、実質的な力を付託されてそれを行使する欲求をもち、また自己を防衛し権力を拡大しようとする主体的な存在では?
それゆえ、株主のための、従業員のための経営判断によるのではなく、自己のために会社の資産や社会の財だって食い散かす危険も想定をすべき存在である、という点も前提に、「会社ば誰のものか」という設問を考えるべきでは?と思いました。
みんながみんな会社を「自分の所有物だと考えたことはない」と言い切れるわけでもないですし、本人がそう信じても、結果として逆の行動をしてしまうことになる可能性だって、人間にはある、と思います。
また、「会社は、生きる意思 を持つ人の意思で、動いていくもの」であるなら、その意志を吹き込むのは結局その資産を預かり舵取りをする存在
=経営者です。
たとえば半世紀前に日本は閉鎖された出世街道を勝ち上がったエリート達の信じられない暴走経営により一度滅んだ痛い過去があるのですし、理想的な人民の国をつくった筈が赤い特権階級が人民を食い物する様だって世界は見続けているのですから、同じようなことが企業という狭い組織でもありうる、と考えるべきではないかな、とか思いました。
ペラペラと失礼しましたm(..)m
追記
こういう示唆に富むサイトを見つけました