藻谷浩介氏の生きている市街地論
ネットをふらふら廻っていて、面白いものに当たったのでご紹介します。
題して「生きている市街地とは」
・「住む人」がいて、かつ、住んでいないのに外から「来る人」がいること
-家や店がごちゃごちゃに混じっていることが大事。
「両者の動線が混ざっていないような場所は、私は市街地とは呼びません。
なぜならば、市街地と呼びたくなるような賑わいが生まれないから」
・街が容れ物として機能していて、その上で店とか住人とかが一定のペースで入れ替わっていること
-新規参入者が入ってくる場所、「器としての力」を持っている場所がまち
・ムラとは違うまち文化、まちブランドがあるということ
-よそ者を排除して身内で固めて、掟の下でおとなしくするのがムラだとすれば、まちは新参者を受け入れて基本的に自由競争する場所
中心市街地には商業と駅と病院が町の中にコンパクトにまとまっていて、車社会の住人ですら歩かざるを得ないような仕掛けが必要
「にぎわいのある場所があると、皆がにぎわいを味わいに出かけてくるのです。ものを買いに来ているというより、にぎわいを消費しに来ている・・・」
なんて言葉は、街っ子なら本能的に育てていなければならない「センス」ですね。
こういう理論を読むと、門スタは間違った活動ではなかった、と思います。大いに我が意を得たり、といういう気がします。たとえ周囲に理解されなかったとしても、ですが。
この理論の提唱者は藻谷浩介さんという方だそうです。
プロフィールはこちら。
関連情報として、一新塾というところで行われた講義がこちらにあります。

さて、眠そうな彼の目には門司港はどう映っているのやら・・・