2000年4月28日
おはようございます。mojiko.comの魚住です
本日のお品書き
・Link集の追加
さよぴーさん
下関市役所第一別館のページ
・デジクリ連載4回目
「DVDと1984年」
おはようございます。「mojiko.com」の魚住です。
春真っ盛りで若葉が美しい季節になりました。
http://www2e.biglobe.ne.jp/%7Euozumi/ONETIME/9905wakaba.htm
一年も前に"季節限定"と銘打って、そのまま放置してしまった
ページですが、またこのページの画像に似合のシーズンになって
しまいました。一年が、どんどん短く感じられるようになったという
ことは、歳を取った、という事でしょうか・・・(TT)。
・Link集の追加
1.さよぴーさんのためになる郵便ぺーじ
個人サイトの方のリンク集
http://www2e.biglobe.ne.jp/~uozumi/link.htm
に、「さよぴー」さんという方のサイトを追加しました。
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/~sayoko_k/post/index.html
まだ、郵政省がサイトを立てていない頃から、手弁当で郵便につい
ての情報を提供してこられた方です。
一昨年作っていた「半公半私」のサイトだった「もんちょ」
http://member.nifty.ne.jp/goka/moncho/
を知る人からは、なんで今ごろ個人サイトの方でリンクするの?と
不思議かもしれませんが、ちょっと経緯がありまして・・・。
愛称募集などでご存知でしょうが、
今年になって、門司港郵便局のサイトを書いているのですが、
(初めて、仕事でwebに携わっている、と言えるようになりました^^;)
Link集にさよぴーさんのサイトを設定していたら、九州郵政の方
から、「個人サイトは、情報の鮮度などで信頼が置けないから、
リンクはダメダメよ」(直接応対していないけど、こんな物言いでは、
無論ないです^^;)みたいな連絡がきたので、
「ごめんなさい切らせて」とお詫びしたのです。
さよぴーさん自身は、元短期職員ということもあって、こういう硬さ
には慣れておられるみたいですが、なんか私の方が少々むかっ腹
が立ってしまいまして、「せめて個人サイトでリンクさせて」とお願い
した次第です。それで、ああいう紹介文になっています。
大体、「個人サイトは情報の更新が遅れて非現行になる」みたいな
心配をするなら、最新情報をつねにさよぴーさんに提供していけば
どうなんだろうか?それが先人へのマナーとか敬意ってもんでしょ?
と言いたい私なのであります。
2.下関市役所第一別館のページ
http://www.portnet.ne.jp/%7Eyukosino/bekkan.htm
mojiko.comのLink集には、「下関市役所第一別館のページ」を追加
しました。丁度、門司港と対岸である下関唐戸地区にあります。
この建物、元々は、大正12年に立てられた下関郵便局の電話課の
分室だったそうです。所謂「近代化遺産」と呼ばれる建造物であり、
今後の保存と活用について考えよう、というサイトです。
門司港レトロも、このあたりまで含めて「関門レトロ」という枠組みを
想定すると面白いだろうな、と思います。
門司港とめかりと、唐戸と下関と長府、個々に距離がありすぎるの
が難点です。その間を繋ぐ、良い交通手段がない。
やはり、ここは唐戸汽船の水上バス化だ、と私は思うのですが・・・。
・デジクリ連載4回目
日刊デジクリ( http://www.dgcr.com/ )の連載も、ついに4回目です。
今回も、理屈っぽい・・・^^;
前回、プロテスタンティズムという信仰の情熱から生まれた「利潤の
追求は許されないが、結果としての利潤は神の恩恵」という発想が、
自分の仕事に集中する勤労の精神を生みだし、合理的経営と浪費
のない拡大再生産への意思を生み出し、その二つが結び合うことで、
単なる技術提供者としての職人ではない”企業家”という人間の生き
方を作りだした」という意味のことを書いたのですが、これが言わば
光の面として、今回書いたのは、その精神世界が辿りつくダークサイト
の紹介、ということになるのでしょうか。
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プレイステーションが発売されたのは、先月だったろうか?DVDが普及する
ためのキラーマシンになる、という前評判が高かった。実際、キラーソフトだ、
と噂された「マトリックス」の出荷枚数は、ビデオ版よりDVDの方が出足では
多かった、と聞いている。
昔、レコードがCDに置き換わるのは、何年もかかるだろう、といわれていた
ものだったが、CDウォークマンが登場して、あっという間にレコードは消えて
しまった。録再できるDVD−RWの登場などを見ていると、遠からずビデオも
そうなって、あっという間にテープだって消えていくような気がする。
音楽メディアのレコードからCDへ、映像メディアのテープ・LDからDVDへ、
というようなメディアの変転のまっただ中にいることに気が付いて思ったのだ
が、メディアが変わった時、果たしてソフト的な資産はどれだけ受け継がれて
行くのであろうか?ハード的な代替わりによって、その時の価値観でソフト的
な資産が継承されない、再生できずに消滅する、ということは、どのくらいおこ
るのだろう?
勝海舟という人の言葉に、
「ぜんたい大きな人物というものは、そんなに早く現われるものではない」
というのがある。彼曰くところによると、ニ・三百年たつと、同じ位の大きな人
が再び出て、その者が後先のことを考えているうちに発見して、"自分と同じ
ことを考えた者がいた"と騒ぎ出し、ようやく世に知れるのだという。
だから、芳名を千載に残すとか、臭を万世に流すというようなのはケチくさく、
世に処するに誠意誠心をもって現在に応ずるだけだ、というのである。
なるほど、さすがはその場その場の表裏を見ながら判断と行動をする必要
がある政治の世界の、それも動乱の時代の人の言葉だ、と思うことしきりだ
が、しかし、これは歴史が記録としてきちんと残り、後世からその一人の人間
を「自由に自分の目で」見ることができるのが前提である。
それができなければ、次のような、とても嫌な言葉を思い出さざるを得ない。
曰く、「今を支配するものが、過去も未来も支配する」。
この言葉は、たしかジョージオーウェルという作家が「1984年」の中で書いて
いる言葉だと思う。この小説が、実に陰気な話であり、「あらゆる人間性の収奪
の上に成立する不毛の世界」を描いた小説で、近代文化の言わば「暗黒面」の
純化された姿を、これでもか、とばかりに描いた小説である。
主人公であるウィストンに対して、拷問をしながら「学習」を施すオブライエンと
いう人物は、はかく言う。
「権力とは、人間の精神をずたずたに引き裂いた後、思うがままの新しい型に造
り直すということだ」
「われわれは親と子、男と男、男と女という人間的な絆を断ち切って来た。もはや、
妻でも子でも、また友人でも信頼するものはいなくなっている。しかし未来では、
妻や子というような人間関係は存在しなくなるだろう」
「愛もなくなるだろう、”偉大な兄弟”への愛を覗けば。笑いもなくなるだろう、敵
を敗北させた凱歌の笑い以外は。芸術も文学も科学も無くなる。」
「美と醜の区別はなくなるね。好奇心も、また生きて行く上の喜びも無くなろう。
われわれの邪魔になるすべての快楽は破壊する。しかし常に、だーこの点を忘れ
てはいけないよ、ウィンストンー常に権力への陶酔は存在するということだ、それ
は絶えず増大しも絶えず鋭敏になって行くであろう。常に、あらゆる瞬間において
勝利のスリルが存在し、抵抗力を失った敵を踏みつける快感があるだろう」
常に闘争が存在する。つまり倒すべき・憎むべき敵が存在する。だからこそ偉大
な兄弟の偉大さは確保される、という逆説的な依存を維持する為、この世界では
ご丁寧にも「ゴールドスタイン」という裏切り者で異端の首領が用意をされて、
「三分間憎悪」という彼に対する憎しみと嘲笑を公然とぶつける時間が日常用意
されている・・・。(どう喩えれば良いのだろう。今現在、一番近い例は、多分
”小沢一郎”という政治家にたいする日本人の論調ではないかと思う)
ご丁寧な話はまだあり、この国では思想の範囲を縮小するため、ひたすら国語
の改革をしている。言葉を単純にすることで「思想犯罪」を行えなくするという
わけである。登場人物の一人はウィンストンに対して得意げに語る。
「チョーサー、シェークスピア、ミルトン、パイロン、彼らだって新語法版でし
か存在すまい、全く異質のものに変わっているばかりではない、実際にはもとの
姿とは正反対のものにさえ変わっているのだ。」
「スローガンも変わるね。自由の概念が破棄されたら、「自由は屈従である」と
いうスローガンの存在価値はあるだろうか。」
「正統とは意識をもたないということになるわけさ」
(無論、このようなずけずけと物を言う舞台廻しは、先では主人公より早く粛正
をされてしまう)
どうも、脱線がすぎてしまったが、この主人公が行っている仕事は、今の都合
に合わせた過去の”事実”の改変の実務なのである。
ようするに、今、粛正されて存在することやめた人物がいれば、彼という人間
は過去にも存在しなかった、ということになり、写真や文章があれば消滅させ、
改ざんし、必要なときは、新しい人物や事件を生み出す。それが採用されれば、
その虚構の人物・事件は、歴史上の実在の人物・事件となるし、粛正された人間
は、永遠に存在しなくなるのである。
まったくいそがしい話で、隣国の一つと同盟して別の国と戦争しているなら、
過去からそうなのであり、同盟・交戦の関係が変われば、全て書き換えをして、
今の都合に合わせるのである・・・。そして、人々は、「二重思考」という方法
で、この歴史改ざんの矛盾を解決してしまうし、それができない者は、粛正とい
う人為的な淘汰がされて消えていくのである。
DVDの話から、突拍子もない小説の紹介に変わってしまったが、最初の話へ
と戻れば、昔なら、写真であれ手紙であれ、物理的に存在していたのである。
だから、残せるのである。はるかに確実に。
が、情報がデータ化された時、再生する仕組みがなくなれば、多くの情報が、
自然と消滅していくのではないか?という気がする。また、改ざんも容易になる
だろうことももちろんである。(この場合、国が、と決めつけない方が良い。特定
の事に利害関係があり、情報をコントロールできる、他者の意見を非難圧殺で
きれば、誰でもできるわけです)
こんな事を考えてしまった。
十年後のある日、自分の記憶と、社会的に貯えられて流通している「記録」が、
全く異なっていた。そして、自分の手元にある「記録」は、前世紀の遺物であり、
もはや再生ができないマイクロカセットしかなかった・・・。
さて、そんな事に立ち至ったら、私たちは一体どうしたら良いのでしょうか?
ところで、オーウェルの1984年なんぞを持ち出したのは実はつまらない理由
がある。実は、近所のレンタル店が、旧テープの大処分をしていて、割引につぐ
割引が行われて、結果映画作品のVHSテーブが500円くらいで買えたのである。
それで、品定めしていたら、1984年に英国で制作されたこの小説の映画版が
あり、思わず購入して、今手元にあるからである。
昔、一度見て主人公の歯が手で引きぬかれるシーンを微かに憶えている。
陰湿なストーリーだから、映画も楽しいとはいいかねるだろう。購入はした。
が、果たして見る気には、いまいちならないのである。
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小説「1984年」は、M.ウェバーが予言した「異常な尊大さで粉飾された機械的
化石」と化した社会とは、どのようなものか、良く表現しているように思います。
それにしても、よくこんな無理やりな話の作り方をしたなぁ、と自分でも思います。
掲載してくれた柴田編集長に感謝です。
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魚住耕司
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