・プチタイムトベル 古いFDの中身は"NIFTY歴史フォーラム"での過去
部屋の掃除をしたら、古いフロッピーが出てきました。
PCにかけてみたら、データはまだ消えていませんでした。
昔は、身の程知らずにこういう場にも嘴を挟んでいたのです。
私には懐かしくもあり、楽しい思い出のタイムカプセルです。
しかし 今思えば、周囲から見れば、私なんぞがお邪魔していた
のは場違いで、愉快ではなかったのかもしれません・・・。
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- FREKISHI M**( *):【**中・近*史】 9*/**/
00578/00578 GBB00572 呉下の阿蒙 鎖国議論に私も一言
( 5) 94/02/01 21:25
鎖国議論、まだやってます?議論を読んでいて、私なり
の疑問・反論が幾つか浮かんできましたのでUPします。
1.単純に軍事力があれば植民地化を防げるのか?
印度は英国からみれば遙かに巨大な軍事大国だったと思います。
しかし、「国民」という共通の精神を持たないかの地域では、
その軍事力も、自分たちを弱めるようにしか働かなかったのでは?
もっと、具体的に言うと、戦国時代のような状態で、統一された
社会でない場合、いかに総体としての軍事力があっても、それは
計算の上だけの机上の空論にすぎず、具体的には一公国・一領主
が、英国(或いはその他欧州列強)のような大国と戦うことしか
あり得ず、各個撃破でその社会全体が最後には軍門に下ることに
なるのでは?
(そういえば、家の前の海峡では、日本の一公国が、欧米列強四つ
と戦争したことがあるぞ ( ^_^;) )
2.世界に門戸を開くことが、無条件に発展を約束するか?
アメリカで行われた南北戦争の原因って、たしか、
北の管理貿易の主張と南の自由貿易の主張の対立では
無かったでしょうか?
漸く自力で歩み始めた北部諸州の、自由貿易によって遙か
に安く高品質の欧州産の工業品が流れ込んできては、自分達
の産業は壊滅してしまう、だから・・・ 。という管理貿易の主張
と、自分たちの豊かな天然原料をどんどん欧州で売りさばき
たい南部諸州の利害が真っ向から対立し、ついに国を二分する
戦争になったのではないでしょうか?(詳しい方、教えて!( ^_^;))
もし、この時、南部が勝利して、アメリカが、欧州への資源基地
の道を歩んでいたら、今日の発展はアメリカにあったでしょうか?
鳥に卵があり、人に母の胎児の時があるように、経済にも、「箱庭」
の中にいるべき時が必要ではないでしょうか?
私は、鎖国はそのような貴重な時間だった、と思います。
広く世界に門戸を、といっても、当時の日本に具体的に
どのような「貿易」が成立しえるのでしょうか?
また、その貿易とどのように国内産業が関連していく
ことになるのでしょうか?もし、江戸幕府が解放された
経済の道を選んだとして、日本はどの様な経済システム
をつくっていったか、シュミレ−トしてみると面白いかも
しれません。誰か、そんなゲ−ム作ってみませんか?
ウレルトイウホショウハナイ・・・
もう一つ、これも具体的な資料の裏付けがない推理にすぎない
のですが、私は、経済システムの面で、閉鎖されて太平が
続いた江時代が、日本人から「投機」的要素を除き、「投資」
する型の人間を育てた面はないだろうか?と考えます。
明日がどうなるか分からないなら、誰も見通しを建てた上での
地道な投資はしないでしょう。社会は賭博性の高いものになる
でしょう。しかし、そんな社会で近代産業が成立するでしょう
か?近代経済は信用のシステムだと思います。社会そのものに
信用が欠けている社会で、果たして近代が成り立つでしょうか?
まして、その果実である「産業製品」が?
2.儒教「学習」が日本人に与えたもの
オアシス会議室での議論のスタ−トから、十分に議論の俎上に上がらない
のが、日本人と儒教の関係です。そもそも、山下さんは、江戸幕府は儒教を
採用して日本を停滞させた、という論を提出していたと思います。(この様
に要約して宜しいでしょうか?)
江戸時代が停滞した時代としても、果たして、儒教はこうも簡単に否定さ
れてしかるべきものでしょうか?はたして、日本人にとって、儒教を学んだ
ことは、全面的にマイナスだったのでしょうか?
私は、山下さんの取り上げるようなマイナス面はあったにしても(それは
どの哲学を学んでも存在するマイナスだったと思います)、儒教学習により
得たものは巨大である、と思います。我が国の近世思想で、儒教がベ−スに
存在しないものは無いのではないですか?「からのさかしら」を去れと主張
した国学でさえ、宣長の思想のベ−スは儒教だ、ということを小林秀雄氏は
発言しています。(この事を仮に宣長本人に問いただしても、彼はおそらく
認めるでしょうし、たいして問題にしないでしょう)
私は、日本人が自分一個の利益というものを離れて「社会」とはいかにある
べきか?ということを考えられるようになったのは、儒教学習の成果である
と思います。そんなことを、例えば織田信長が考えていますか?戦国武将が
考えていますか?江戸以前の武士に己を捨て去って社会全体(お家ではない)
の為に犠牲になる、ということが期待できますか?
江戸の精華は幕末・維新にあると思います。
幕末・維新の精華は巷に散っていった下級武士達にあると思います。
戦国武者達に彼らの死様が理解できるでしょうか?
明治維新(武士が我が手で自ら自分達の特権を無くすべく努力した−無論、
異論も反動もありましたが、総体として−)が理解できるでしょうか?
分かりづらいでしょうから、要約すれば、日本人に「形而上的思考」の訓練を
施したのは、儒教学習だったのではないか?その頭のトレ−ニング無しには、
近世以降の我が国の全てが存在できないはずだ、ということです。
(注.日本人に「形而上的思考」の訓練を施したものに「仏教」もあります。
しかしながら、仏教は現世に全く関与しないことを原則としていますので、
現世で人はいかにあるべきか、という問いに対して積極的な行動の指針と
なかなか成りえなかったと思います。−この辺り、プロ倫の話題ですね−)
更に、簡単にすれば、儒教って、日本の近代思想にとって、「DOS」
なんじゃないですか?欠点は山程あっても、ベ−スが同じなら、会話が
成り立つし、乗換もできるわけですし・・・ 。
以外に長くなってしまいましたが、以上の様な点も考慮されて、改めて
江戸300年についての功罪を検証されたらいかがでしょうか?
やっぱ書物は親指キ−だぞ。
こんな文章でも、屁の河童だ
( ^◇
00587/00636 H**003** ひ** DOS/Vだったりして(^_^;)
( 5) 9*/**/02 19:31 00578へのコメント コメント数:2
> 呉下の阿蒙さん
>>儒教って、日本の近代思想にとって、「DOS」
>>なんじゃないですか?
中江兆民や内村鑑三は言うまでもなく、あの秋水幸徳傳次郎さえも、そ
の「DOS」上で思索しいていたとあたしなんかは思っております。た
だぁ(^◇^;)、この日本版の「DOS」は、本家本元のコピーをそのまま
使ってにゃ〜いっっっ(^◇^)/"。お隣の李氏朝鮮は朱子版「DOS」の忠
実なユーザーだったのにぃ。
*
吉田松陰の「孟子」のノート(『講孟箚記』)なんざぁ、DOS/V上
のアプリケーションだったりして(^_^;)。
PC/AT互換機を使う孔孟の徒 ひ*る**
続き (改行で次の発言)
>
00605/00636 GBB00572 呉下の阿蒙 RE:DOS/Vだったりして(^_^;)
( 5) 9*/**/06 07:16 00587へのコメント コメント数:1
< 中江兆民や内村鑑三は言うまでもなく、あの秋水幸徳傳次郎さえも、そ
< の「DOS」上で思索しいていたとあたしなんかは思っております。
お久しぶりです、ひ*るさん。
山本七平氏が、日本人が進化論や天動説を抵抗なく受け入れて常識に
しているのは、それが朱子学の世界観と合致していたから、とどこか
で書いていた記憶があります。
それなら、科学すら、我々は儒学というDOSの上で使っているわけ
ですね。すると、我々日本人の科学の世界に、党派性や教条主義が
蔓る危険性は高いことになりますね。
うーん、再びコペルニクス的転換が科学からうまれた時、日本は受け入れ
きるだろうか?
ファンダメンタリズムと
受験エリート教育による
発想の固定化が合体したら
どうなるだろうか?
ごか
00607/00621 H**003** ひ** 江戸は博物学・・・だと思う
( 5) 9*/**/06 15:54 00605へのコメント コメント数:2
> 呉下の阿蒙さん
明治になってからの「進化論」の受け入れ方ってすごいものがありま
すね。一種のブームと言ってよいでせう(これはほとんど右も左もない
みたいどす)。
*
ひとくちに「儒教」と言ってもかなり重層的になっているので、ここ
では加地伸行『儒教とは何か』(中公新書)に従い、「<孝>の行いを
通じて、自己の生命が永遠であることの可能性に触れうるもの=死の説
明としての<生命論>」と考えたい思います(別に、違っててもいいん
ですが、とりあえず<いい加減なワシ(^◇^;))。呉下さんのおっしゃ
る「朱子学の世界観」とは、これをふまえ、さらに孔子や孟子の政治へ
のコミットメントのあとにやってくる道教や仏教の影響を受けた宇宙論
および形而上学と考えられます。
んでもってぇ(^o^)、この宇宙論や形而上学がお江戸の学者に受け入れ
られたかとゆーと・・・じぇんじぇんじぇんじぇん(^◇^;)アッパラパー。もち
ろん実務家である武士=官僚は見向きもしません。 仁斎・徂徠の「古学」
が出来する由縁でありまする(さらには別系統だけど「からごころ」を排
した宣長もね)。
江戸時代の科学は「博物学」だと思います。荒俣宏みたいなシトがた
ーんといたわけでござる。「帝王の学問」と言われていましたから、ス
ポンサーもけっこう付いたのではないかしらん(^_^)。
朱子学と近代科学の関係如何と問うても、有意義な答えは出てきそう
もありません。山本七平氏の著作は微に入り細に入っていますしお勉強
にもなりますが、日本人のいい加減さがいまいちよくわかっていないよ
うな気がします(マジメなのね、あの人も(^_^;)クリスチャンダシ)。神と対決
(対話)したことのないお江戸のみなしゃんの「ミーハー」さを納得す
るには肩の力を十分ぬかなければだめなのさっっっ(^◇^)。「黄表紙」
を読んでクスクス笑えるまでにはけっこう年期がいるのかもしんにゃい
(今となってはね)。
現代物理学は「儒教」ではなくて「老荘思想」にヒントを得ている
のでは??(湯川秀樹のエピソードは有名なり) ひ*B
00618/00621 GBB00572 呉下の阿蒙 江戸博物学と儒教と科学と(長文ゴメン)
( 5) 9*/**/09 22:23 00607へのコメント コメント数:1
「大学之道 在明明徳 在親民 在止於至善」
朱注 「明は之を明らかにするなり。明徳なるものは、人の天に得て、
虚霊不眛、以て衆理を具して万事に応ずる所のものなり。
但だ、気稟の拘するところ、人欲の蔽うところとなれば、即ち
時ありてか昏す。しかれどもこの本体の明は、即ち未だ嘗って
息まざるもの有り。故に学者は当に其の発する所に因りて、
遂に之を明らかにし、以て其の初めに復すべきなり」
朝日新聞社 中国古典選六「大学・中庸」から
ひかるさん、どうも、コメントありがとうございます。
ひかるさんの上げられた、加地伸行氏の儒教というのは、確か、余りに哲学に
傾きすぎた、近代の儒教ではなく、本来儒教がもっていた宗教的側面をもっと
掘り下げてみる、という研究ではなかったか?と思います。(実は、読んでない
から、確かそんな研究では?という推測にすぎません)
まず、この儒教が、江戸時代の儒教だったのか?という問題があります。私は
違うと思います。ひかるさんは、日本の儒教は本家のDOSでは無くて
DOS/Vだ、と名言を書き込まれましたが、加地氏の儒教研究こそ、その
本家のDOSの構造研究だと思います。我が国においては、本家の儒教が
もっていた人間の非合理的側面の感情・思い(上手く言えませんが、恐れや
怨念や、愛や、「感情」という表情をつくり出す心の底にあるドロドロです)
の「処理」(上手い言葉が見つかりませんので、取り合えず事務的な言葉を)
は儒教の仕事ではありませんでした。孔子に「鬼神は敬して遠ざける」という
言葉がありますが、我が国に於ける儒教は、あくまでも人間の日の当たる部分
を秩序立てる「社会生活上のエチケット(=礼)」であり、それを支える為の
「哲学(=楽)」とされていたと思います。
これ故に、江戸儒学が、明治になり、西洋科学とそこから派生した技術を受け
入れる下地となれた、と思います。日本の現代に連なる科学の系譜は、明治の
輸入科学である、と思います。江戸期の諸科学と我々現代の日本人は、一度
断絶している、と思います。明治からこっちの我々の「科学」とは、江戸時代
のマニアックなコレクタ−が行っていた「道楽」から発展してきたものでは
無く、明治になって怒濤の如く押し寄せた西洋科学技術と、それを受け入れる
為に自己の教養の中から類似的なものを探した結果見つけた朱子学の世界観の
合体ではないか?と思います。
しかし、それでは、西洋人が科学を築き上げる為に払った、もっとも大きな犠牲
が、分からないままになるかもしれません。
コペルニクスは息を引き取る最後のその時に始めて天動説の著作を手にしました。
進化論の発見者はダ−ウィンだけ無く、彼には共同研究者がいたそうですが、
その人は自分の発見した進化論を発表しませんでした。なぜ?
自分の研究が、自分や社会を組み立てている「価値観」を破壊してしまうから。
現代の科学には、「価値観」が入ることはありません。中性子は、只の素粒子
ですし、陽子も電子も、ニュ−トリノも、只の素粒子です。(実は、余り私は
詳しくないのですが・・・ ( ^_^;)−不勉強な天文ファン−)
その素粒子そのものが、何か「善悪」の基礎になるような倫理的存在の具現化と
は決して考えないはずです。
しかし、儒教、問題にしてる朱子学の世界観では、宇宙を形成する気とそれを
形あるものに整える「理」があり、「理」によって「気」が「物質」になる、
という、現代物理そっくりの構造が、「倫理」と不可分に存在しているとは思い
ませんか?宇宙の構造と、人間の「いかに生きるべきか」という問題が、実は、
根底が同じである。という構造になっているように見受けられます。
と、なると、物理学の新しい発見を受け入れるか?という問題は、自己の価値観
を変えるか?という問題と直結してしまいます。物理学に限らず、このような
「新しい状況」を認めるか、拒否するか、(拒否したって、あるものは、ある)
という問題は、常に日本人についてまわる。改善には熱意をもつ癖に、自国の
人間が作る新しいシステムや改革はやたらと斜に構えて見なければ気が済まない
風土のル−ツがここかもしれません。(トロンが冷たい扱いをうける理由もこの
辺りにあるかもしれませんよ、*楽さん。 ( ^_^;))
といった所で、件の山本氏の本を探してみました。ありましたよ。良かった、
買ってた本で。題名は「1990年の日本」福武書店で1983年6月に初版が
でた本です。一度探してお読みください。取り合えず、著作中引用を含め幾つか
抜き書きしておきます。
1.山本氏の引用した加藤弘之氏の「吾国体と基督教」の一部
「余はキリスト教に限らず、およそ宗教といえば、宗派の如何を問わず
全く好まぬのである。それはなぜかと言うと、いかなる宗教といえど
もことごとく吾人に迷信を与えるもので、大いに知識進歩の妨害をな
すからである」
「儒教は仏教やキリスト教の如き宗教とは違って元来迷信が甚だ少ない。
唐の結果である奈良時代、平安時代、鎌倉時代、足利時代の中流以上と
徳川時代の中流以上とを比較して見ると、その迷信の程度は余程違うよ
うに思われるが、これは全く儒教のおかげであると思う。」
2.山本氏の文章
「日本人の知識階級が「無神論・無宗教」であるのは、儒教によるという
加藤弘之の考え方は必ずしも無根拠とはいえない。とはいえ、それがその
まま科学・技術の導入に役立つというのではあるまい。ただ、徳川時代に
日本人は「近思録」から「近思録的発想」へと進み、一種の進化論や機械
論的宇宙論を生み出していた。そうなれば、「神学と科学技術」などとい
う問題ははじめから生じなくて当然であろうし、明治が聖書の天地創造説
に反発し、同時に進化論は何の反発も感じずに受容しても少しも不思議で
はない。」
後、山本氏は、「心学奥の桟」という作品と、「松翁ひとり言」という作品
から進化論的思想と機械論的思想が生まれていることを引用しつつ以下の様
に書いております。
3.「こう考えればまさに朱子学的唯心論であり、進化論に進んでも不思議
ではない。ただ、中国人と違うところは、日本人の場合、以上のよう
な発想と現実の観察が常に一体化していて、それば新しい発想へと飛
躍している点にあろう。柳泓(「心学奥の桟」の著者)の基本は確か
に朱子学から来ているが、同時にそれを踏まえつつ自然を観察してい
る(中略)この点では、形而上学的な朱子学から経験的・実証的な科
学的態度と進んでいる。」
あ〜、疲れた。どうも纏まりがないのですが、ここらで失礼します。
ごか
追伸
ひ*るさん、「江戸の科学は博物学だ」と申されますが、本当に「江戸博物学」
は「科学」でしょうか?あれは元々「格物至知」だったかもしれませんよ
( ^◇^ )
もっとも、そうだとしても、幸せだなぁ、と思います。私は。自分の研究の集積
が、いずれは巡り巡って自分と社会の倫理的な向上に役立つと信じることができ
るなんて、これ以上は無い幸せな研究人生ですよ。
自分の収拾癖を倫理・哲学に裏書きしてもらえるなんて、マニアの極楽浄土だど
( ^_^;)
追伸2
う〜ん、大学綱領、なんの為に苦労して書いたんだろう?
全然、繋がって来なかったぞ・・・ ( ^_^;)
00619/00621 H**003** ひ** 因果はめぐる、なんてね
( 5) 9*/**/10 11:42 00618へのコメント コメント数:1
>呉下の阿蒙さん
どうも、ご丁寧なコメントおそれ入谷の鬼子母神っっっ(^◇^)<この前、
都電で通ったけど(荒川線沿線のマイナーなネタ(^_^;))。
あたしは本家のDOSを書き換えるときに随分ネグってしまったファイ
ルがあるんだと思うのですよぉ。『朱子家礼』のような重要な「礼」のファ
イルは途中でどっかへ行っちゃってる(^_^;)アララ。おとなりの朝鮮半島では
細かいマニュアルの無い「礼」など考えられないことですのに。『論語』に
あっても、「学ぶ」とは基本的には先達に就いて「礼」の所作を学ぶとゆー
ことだったでしょうから(とくに「葬礼」は必須科目であったらしひ)。
*
朱子の「理気説」に日本の儒者も頭を悩ませていますが、その「大義名分
論」の方は否定することがむずかしかったように思えます。徳川光圀(黄門
さまね(^o^))&朱舜水(明の亡命知識人)以来のこの理念は、幕末に大爆
発を起こすことになるのですが。
お江戸の博物学は物理学や化学とは異質のものですから、厳密に言えば
「科学」とは言えないでせうね。当時の日本人の関心がそーゆーものだった
というこってす。
山本七平のその本はバブル前に読んだことがあるどす。んがぁ(^◇^;)、す
っかり内容は忘れているのであった。なりほろなりほろ(と言いつつ本棚を
さがす、と(^_^;))。
*
王陽明はその「格物致知」をやりすぎてノイローゼになっちゃったのよね。
すっごーい「勘違い」なんだけど、それが陽明学の出現のきっかけになった
なり。して・・・この陽明学が維新の志士たちに迂路をとおって影響をあたえる
とゆー。
ひ*B
00621/00621 **C01**4 か* RE:因果はめぐる、なんてね
( 5) 9*/**/10 18:52 00619へのコメント
こんにちわ。
呉下の阿孟さん、ひ*るき*さん、いつも「刮目」しつつ読ませてもらっております
(^^)
>> あたしは本家のDOSを書き換えるときに随分ネグってしまったファイ
>>ルがあるんだと思うのですよぉ。『朱子家礼』のような重要な「礼」のファ
>>イルは途中でどっかへ行っちゃってる(^_^;)アララ。おとなりの朝鮮半島では
>>細かいマニュアルの無い「礼」など考えられないことですのに。『論語』に
>>あっても、「学ぶ」とは基本的には先達に就いて「礼」の所作を学ぶとゆー
>>ことだったでしょうから(とくに「葬礼」は必須科目であったらしひ)。
確かに、日本の儒教というのは、韓国屋から見ると「こんなの儒教じゃないや!!」
と言いたくなるようなものが多いですね(^^;)。ましてや、あれが朱子学だなんて言う
のは...ということになります。林家なんて通信使に言わせれば、もう、ぼろくそ。
読んでいる方が情けなくなりますねぇ。
ひ*るき*さんの、日本のは純正dosではなく、dos/vだ!、という名言があ
りましたが、私からすれば、日本はやっぱり「日本人の為のパソコン」、98です(←
別に*ECの回し者ではありません)。本家のDOSマシンを真似て、別の似て非なる
規格を作り出し、それがあたかも本家のような顔をして、「国内標準」としてまかり通
る。他にも、F*やDYN*のような、やっぱり似てるけどもどっか違うものが沢山出
てしまう。この辺は、今も昔も日本人は同じだなぁ(^^;)
(あ、別に互換機陣営の回し者でもありません(^^;)
よく言われる話ですが、日本と韓国の儒教を比較する時に、日本の儒教では「忠」が
重視され、韓国では「孝」が重視されている、なんて言い方をしたりします。でも、本
来の儒教の考え方からすれば、「孝」を重視するのは当り前というか、「孝」こそが儒
教の中心課題ですから、それよりも「忠」の方を犠牲にするなんてとんでもない訳で、
そんなもの凡そ儒教だとは言いがたい。
結局、幕藩体制は、儒教の「忠」の部分だけを持ち出して来て、利用しただけであっ
て、本当に儒教を理解しようなんて気は殆どなかったのでしょうね(^^)。
李朝時代の韓国人が日本は「武農工商」であって、「士」はいない、というのはこの
当りにもありそうです。
因みに、このような幕藩体制下の日本のいいかげんさと対比する意味で、朝鮮半島で
儒教がいかに浸透して行ったか、ということについて、お話しておけば、皆さん、ご存
じのように、今でこそ韓国では中国と同じで、同じ本貫(≒血族)の人間は結婚できな
いし、本貫の異なるものからの養子なんて考えられないことになっていますが、それは
たかだかここ400年位の事。実は儒教がそれほど影響力を振るっていなかった高麗時
代には、同族婚は、韓国でも非常にありふれたものだったのです。しかし、驚く莫れ、
この習慣は、儒教、それも朱子学全盛の李朝に入ると、変わってしまい、「日本人は従
兄弟と結婚する野蛮な連中だ(^^;)」と言うようになってしまっています。
明治の知識人が「DOS」の上で思考していたことは否定できないでしょうが、日本
の場合それはがちがちの「世界標準」準拠のDOSじゃなくて、元々、自分達がめいめ
い勝手に決めたローカルルールですから、変更も容易。
ここでも例を挙げると、明治に入ると日本では様々な「富国強兵」案が出て来ます
が、韓国ではそうはいきません(という論文を今書いております(^^;)。なぜなら、儒
教の教えに従えば、「有土有民而後、斯有財焉、生財之本、在土興民、欲求裕国之道、
先厚其本、使生於地、而成於人者、得以生息不乏、而後因以節其用、財可裕矣」だから
です(BY 魚允中)。
つまりですね、そこからは、国を守る為には富国強兵せんといかん。富国強兵には金
が必要だから、ここは公債発行したり、地租を絞り上げたりして、財源を作って投資し
て、その投資で殖産興業したら、後でそこから借金は返せば良いし、GNPが増えたら
民も潤うんだ、まあ何とかなるだろ(^^;)、みたいなケインジアン的発想は出て来ない
んですね。
ともかく、節用一点張り。これはなかなか大したものです。勿論、他にも理由はある
のですが、ともかくそういう発想が染み付いているから、いくらたっても富国強兵でき
ない。ちょっと強兵しようと思うと財政がピンチになって、どうにもならなくなると、
「王様、強兵なんか止めて節約すればいいんです。節約すれば民も潤うし、民が潤えば
国も豊かになるから、それから富国強兵すればいいんですよ。なあに、ちょっとの辛抱
ですって」、とか言う議論が展開されてしまう訳ですね。しかもそれはそのうち、「経
済はほっとけばいいんだ、とかの、アダム・スミス先生もおっしゃている」というのと
ひっついて、「そうかぁ、西洋の夷狄もそうしてるんだぁ。やっぱり孔子様って偉かっ
たんだなぁ。ひょっとしたら、そのスミスとか言う奴は、四書五経を読んでるのかもし
れない、偉いやっちゃ」という形になって、もともと中央政府の財政規模の小さい国な
のに、いつまで経っても国の財政状況は改善されず、従って富国強兵もできず、結果、
勝手にその国土の上で、南から来た野蛮人と北から来た「オランケ」が戦争を始めてし
まう、という悲惨なことになってしまう訳ですね(;_;)。
(勿論、今の韓国はそこから学んでいるから、ちょっと違うけど)
だから何が言いたいんだ、関係ない話をするんじゃねぇ!、と怒られそうですが、結
局、「幕末明治の日本人は儒教というDOSで思考していた」というのも重要ですが、
「そのDOSは半オリジナルだったので世界の状況に併せて自由自在に変化していたん
だよ」ということも大事だ、そこを見落として欲しくないなぁ、と思う訳です。
まあ、だから逆に言えば、なまじ自由自在に変化できるので、いつも小手先の変更で
何とかできてしまい、いつまで経っても抜本的な変革がなされない、ということになる
のかもしれませんが。
ううん、やっぱり、9801が9821に変わったのと似てるかも(^^;;;;)。
以上、最近、MACも良いかも知れない、と思い始めている、
PC−VAN・E**9***1/NIFTY・**C01**4
か*
00622/00624 H**003** ひ** 「孝」こそ儒教の基本どすえ
( 5) 9*/**/11 11:29 00621へのコメント
>か*さん
ども、こんにちわ。
朝鮮通信使に「ぼろくそ」に言われながらも、わが秋津島の知識人たちは漢
詩の添削などを彼らの行く先々でお願いしているようですね(^_^;)。自分達の
DOSがオリジナルとは違うんだとゆー意識はあったことはあったのよね。
忠ならんと欲すれば孝ならず、と平重盛は苦悩したわけですが、こんな悩み
は日本だけでせう。本家本元ではこーゆー時は「親を背負って去る」はずです
から(舜のように天下を捨て見知らぬ海辺で親に孝養を尽くすなんざぁ、その
極致かな??(^o^)デンセツニシテモ)。
朝鮮半島の儒教の受容史は、もちろん李氏時代の朱子学だけではないざんし
ょ??それ以前のDOSは何だったのでせう。我が国では、儒仏老の文献が遣唐
(隋)使によってどっちゃり持ち来たらされたのですが・・・(家康が朱子学のど
こに惹かれたのかよくわからないにゃぁ。単なる政治統治の参考書だったら『貞
観政要』みたいなもので済むはずですしねぇ)。
富国強兵・・・これって、戦国大名がやっていたことを国家レベルでパワフル
におこなっただけですから、別に「変だなぁ」って感じないのですよ(その強
引さにはもちろん批判はたーんと有馬山)。「信長の野望・覇王伝」で遊んで
るしぃ(^◇^;)チガウッテバ。んまぁ、基本的に緊急性の無い土木工事や建築は嫌わ
れますね、孔孟の教えでは。「奢らんよりはむしろ倹せよ」(『論語』)です
もん。
>>「幕末明治の日本人は儒教というDOSで思考していた」というのも重要
>>ですが、「そのDOSは半オリジナルだったので世界の状況に併せて自由
>>自在に変化していたんだよ」ということも大事だ、そこを見落として欲し
>>ないなぁ、と思う訳です。
うんうん、ですからあたしなんざぁ、お江戸のはじめからそうだったと思っ
てるわけなんですよぉ(^o^)。そしてこの「自由自在」さがたぶん外国から見
たら気になる(気持ち悪い)んだろうなぁって思うんです(思うだけでどうし
ていいかわからんが(^◇^;)ヒェーッ)。
ひ*るき*
PS:世の中にはさまざまなOSが存在するってことを最近しみじみ
感じますです、はいっ(^_^)。
00625/00630 GBB00572 呉下の阿蒙 経典解釈のナイフエッジ
( 5) 9*/**/15 07:46 00621へのコメント コメント数:1
か*さんおはようございます。
森嶋通夫せんせの「なぜ日本は成功したか」
って本に「プロティスタントとカトリックのあいだに
起こった経典解釈の相違とそこから生じる社会発展の在り方
の相違は、儒教の社会でも起こった」という趣旨の記述が
あったと思います。
日・中・韓の儒教の相違は、どれがよい・悪い、どれが正統
か、を離れて、非常に興味深い問題ではないか、と、思います。
本当に、この世にはいろんな生き方が有るんですよね。
ごか
00626/00630 **C01**4 か* RE:経典解釈のナイフエッジ
( 5) 9*/**/15 14:35 00625へのコメント
こんにちわ。
呉下の阿孟さん、朝早くから御苦労様です(^^)。ワタシャソノジカンニハゼッタイネテル
ごかさんの書き込みに刺激されて、久々に森嶋さんの本を眺めて(←読んで、ではな
い)見ました。
そういえば、学部生のころには、森嶋さんの講演を聞いたこともあったな(^^)
この本、所謂「儒教的資本主義論」の先駆を成したような本で、考えてみると今から
もう10年も前の本なのですが、さすがに今から見ると、穴だらけですね(^^;)。
特に私のような朝鮮屋から見るとすごく不満が多い。
というのは、この本、基本的には儒教を「中国の儒教」と「日本の儒教」に分けて、
日本の儒教は中国のそれとは違う特質を有しており、それが故に「日本型資本主義」が
生まれることとなった、と(たぶん)言っているのですが、その過程はまあ、正しいよ
うな気もしない訳ではないとして、そのような「儒教(更には道教)」の「分化」の過
程・原因の説明が、私に言わせれば、「おっさん(←日本で最もノーベル経済学賞に近
い人にそんなこと言って良いのか(^^;))、それは違うんじゃない」と、言いたくなる
点が多いのです。
ということで、誠におこがましいのですが、ちょっと森嶋大先生を批判して見ましょう
(^^;)
まず第一に、
森嶋は、日本の宗教が「支配者の立場を正統化するイデオロギー」化した原因とし
て、繰り返し、日本が中華帝国の脅威を受け、更にはそれに対する強いコンプレックス
を抱いていたからで、日本はこのような中華帝国の脅威に対抗する為に自己防衛の論理
として、団結を重視する「忠」の論理を展開したのだ、というのですが、実はこれは一
見もっともらしいのですが、何の説明にもなっていません。というのは、日本よりもも
っと強くその脅威を感じていたはずの、朝鮮半島やベトナムでは、そのようなことは全
然起こらなかったからですね(^^;)。寧ろ、そこで起こったのは、「儒教の絶対化」で
あり「ドグマ化」というべきものだったのです。特に朝鮮については、本家中国にも、
「朱子純正」dos以外にも、陽明dosや、仏教osやらあったのに、ともかく「純
正」一点張り(更にその中で「真の純正dosとは何か」という激論が展開されていた
訳ですが(^^;))。ともかくこういう意味で、日本は極めて特殊です。
私は寧ろこういった日本の「正統(勿論、中国のそれを基準とした意味で)からの逸
脱」は、中華帝国の脅威をそれほど大きく受けることがなかった為であろうと(勝手
に)考えています。考えてみれば、プロテスタンティズムにしても、こういった「正統
からの逸脱」は、こういった「帝国の周辺」で起こるのが普通ですからね(^^)。確かに
脅威は必要かもしれませんが(ただ、その脅威の故にそういう思想をあみ出した、とい
うのは事実として無理なような...)、寧ろ重要なのは、「正統」から逸脱できる
「余裕」です。例えば、ルターにはカトリック勢力に対抗する為に、ドイツの諸侯が居
ましたが(下手に西洋史の例は挙げん方がいいかも)、その代わりですね。それはやっ
ぱり、中華帝国からの「距離」、と(つきなみですが)「海」でしょうね。
第2に、
森嶋は、「日本の宗教」という時に、明治以降のそれの姿を、余りにも直接的に明治
以前のそれに投影させ過ぎている。特に、その点は儒教についてよりも、神道について
の解釈に言えます。彼によれば、「神道は本来道教から転じたものでありながら(←こ
れも怪しい)、日本では支配層の利益に資するものとなった為、本来の『神秘主義的な
個人を救済する宗教』としての性格が失われた」ということになる訳ですが、それは確
かに明治以降についてはそういうことも言えるかもしれませんが、明治以前については
どうかなぁ(?_?)。この辺りは寧ろ、他の会議室の方が詳しいのかもしれませんが、ち
ょっと短絡的すぎるような気もします。
>>日・中・韓の儒教の相違は、どれがよい・悪い、どれが正統
>>か、を離れて、非常に興味深い問題ではないか、と、思います。
そうですね。私もどれが「良い」と言う議論はできるだけ避けたいと思っています。
ただ、私の場合は本来のフィールドが政治(正確には韓国政治思想史?比較政治学?自
分でもようわからん(^^;))ですから、どうしても、「当時の実状に合致しなかった思
想」やもっと言えば、「生き残りの手段として役立たなかった(又は、妨げとなった)
思想」については、ついつい採点が辛くなってしまいます(^^;)。
PC−VAN・E**9***1/NIFTY・**C01**4
か*
00627/00630 GBB00572 呉下の阿蒙 自己表現のスタイルとしての儒教
( 5) 9*/**/15 22:23 00622へのコメント コメント数:2
ひかるさん、こんばんわ。
>>「幕末明治の日本人は儒教というDOSで思考していた」というのも重要
>>ですが、「そのDOSは半オリジナルだったので世界の状況に併せて自由
>>自在に変化していたんだよ」ということも大事だ、そこを見落として欲し
>>ないなぁ、と思う訳です。
<うんうん、ですからあたしなんざぁ、お江戸のはじめからそうだったと思っ
<てるわけなんですよぉ(^o^)。そしてこの「自由自在」さがたぶん外国から見
<たら気になる(気持ち悪い)んだろうなぁって思うんです
オアシスにNo*さんが、日本人は、日本人の想定している「人間」
への信仰がある、って書いてますよね。3680で。
結局、儒教といい、キリスト教といい、すべて日本人にとっては、
「人間」の表現手段、スタイル、形式なのであって、どのスタイルを
どの局面で使うかを使い分ける事それ自身は、誠実か、否か、という
問題とはならないのではないでしょうか?
ほら、日本人の好きな言葉に「大道無門」ってあるでしょ。
そのあたり、誠実とは、己の選んだ「スタイル」を崩さない
ことだ、と考えてきたであろう(勝手な想像ですが)
広く他人と交流としてきた諸民族には気味の悪さと
卑怯さを感じさせるのではないでしょうか?
しかし、そうだとすれば、その民族から、「士道」
という、全身全霊を武士というスタイルに集中させる
生き方の形式がうまれたのは、実に不思議です。
あれは、やっぱりあの時代だけ、江戸300年を
ぎゅっと絞ってうまれた、あの時代だけしか現実に
呼吸するいきものとしては存在できない一つの極端
なのかもしれませんね。
これで会議室の時代設定に
戻れたかな? ごか
00629/00630 H**003** ひ** 武士とは何だろうか
( 5) 9*/**/16 13:08 00627へのコメント
>呉下の阿蒙さん
「花は桜木、人は武士」と言われるほど、我が国では中国や朝鮮とは
違って武人の人気が高いわけですが(って言ったけどあちらでも関羽な
んざぁ人気者どすね)、これは呉下さんのおっしゃる「江戸300年を
ぎゅっと絞って」出てきたエキスに対しての評価もあれば、源平の昔か
らのさまざまな武士像に対する思い入れもあると思います。あたしも男
の子のはしくれなので(^_^;)イチオウ、戦記物や武道物語も嫌いではありま
せん(好きです、はっきし言って。とくに漫画(^◇^;))。これって朱子
学も陽明学も直接関係ないっすね。
さてっと、そんなことを考えながら近くの本屋さんをぶらついていた
ら、『武士とはなんだろうか』(朝日百科・日本の歴史)とゆー本が目
にとまりました。そのなかの「合戦における文化対立」とゆー項目にひ
かれて買ってしまいましたが、なかなか興味深いことが書いてあって面
白かったです。「武士は芸能人」とか「武士のもつ呪力」とかも、まぁ
新説ってほどではないけど、あたしの関心と近いところにあったのでう
なずきもんでした(_ _)ウーン(^o^)ソゥ、ソゥ。サブタイトルが「源氏と平家・
再考」なので、この会議室全体をカバーしてないのが残念(ってーのは
ぜいたくね(^_^;))。
それでぇ、「武士とはなんだろうか」についてお話しませんか>みな
さま。「理想の武士像」「一番強いのはコイツだ(^_^)」「武士にあるま
じき武士列伝(^◇^;)」とか・・・。たとえばわたしだったら「若衆好き
の武士総特集(*_*)テンコチャマ、ミテルゥ??」・・・あ、あ、ぶたないでぇ。
ひかるきび
00630/00630 T**00**6 No* [****] RE:自己表現のスタイルとしての儒教
( 5) 9*/**/17 15:49 00627へのコメント
リファがあったので、ちょい出てきました。
なんとなくこうした話題についての僕の意見は浮いているようなんですが、それ
に、ちょっとみなさんの意見もしっかりフォローしてないので、ボケ、かまし、
かもしれませんが。
儒教をどう見るかというのはかなりむっかしい問題だろうとは思います。という
か、このあたりは、僕の観点のほうが異論なんでしょうが、日本というのは、古
代においては華僑国家であり、それが、隋あたりの異国文明支配のころ、独立国
家的な歴史をはじめたのではないか。で、そのころの土着の元中国的な信仰(祖
先崇拝)などは、「神道」としてリフォームされたのだろうと思います。このあ
たりは、結局、日本独自と思われているものの皮をはがすと、古代中国的なもの
が出てくる。
で、儒教というのも、中国において、すでに俗信とまじっており、日本において
もディスガイズドな状態でこれが保持されている。そのあたりが、プリ儒教的で
はあるのでしょう。
ただ、日本の場合は、かなり基層にポリネシアン的な要素もあるようですが、
ま、それはさておき、日本なるもの、という発想は、日本の歴史を考える際のつ
ねに、煙巻としてか機能しないように思います。最近の網野さんの講演録とか読
むと、「鎖国」っていう観点すら、げげげ、たんなる、後代の歴史創作のように
思えてきます、といか、視点なのでしょう。17世紀時点にラテンアメリカに日
本人がいるというあたりの「事実」というのはどう解釈されるのか?
話は儒教なんですが、日本の場合、古代中国的なものと、中国儒教(儒学ではな
い)、と、江戸期の日本の儒学というのは、かなり、層をわけて見ないといけな
いようには思います。
あと、「武士」についてなんですが、この概念ができたのは、17世紀なかごろ
ではないでしょうか。というか、我々がなんとなく抱く武士の概念に実際にあて
はまる歴史モデルは実は存在しないのではないかと思います。というか、日本刀
を例にすると、これなんかは、兵器として、実質効果のあるもののして使用され
たことは日本の戦史にはないんじゃないかという気がします。その意味で、日本
刀を振り回す武士道みたいなものは、幻影ではないか、という感じをもっていま
す。
「日本人」における「人間」がどのように成立したか、なのですが、こえを山本
七平は、日本史におけるコンバージョンと見ていますね。僕は、このあたり、よ
くわかりません。
僕の好きな古代史あたりの、日本の歴史空間というのは、ほとんど異国的なもの
をもっているので、そこには、「人間」はどうも存在していない。そのあたり
の、異国性から我々の歴史空間に接続するのは、せいぜい、平安京あたりでしょ
う。そのころに、こうした、エートスが成立しのか? とりあえずそのあたりな
のでしょうが、そこには、現在の史学的にはとくに目立ったものがありません。
なんとなく思うのは、平安国風といわれている文化は、実際は、国風ではなく、
特定の異国文化のありかたで、そこに、日本人の「人間」が発生したのではない
かという感じがします。
話を近世側にもどすと、江戸時代における歴史空間というのは、けっこう即物的
なんです。これは、その人体観を比べてみるとわかるのですが、とくに、漢方な
り東洋医学でひっくるめられるものを自分なりに近世日本と中国とくらべてみた
ことあるのですが、日本における「身体観」はすでに、江戸期に一種の機械論的
にできています。おかしなことに、経済の活動も、ある種の機械的な構造をもっ
ている。比喩的にいえば、江戸時代の時代精神において、日本は、アニミズムな
り、アルケー主義のようなものをすでに払拭したプラグマティズムを確立してい
るようです。これは、儒教とも禅とも関係なく、また、現代の我々が擬古的に想
定する「日本なるもの(オリジナル)」とも違った印象があります。
このプラグマティックな世界はなぜ、どこから生じたのか? といのは、けっこ
う謎です。率直のところ、山本仮説も十分に説明していないように思います。
ごく個人的には、「死体」と共同体の関与のありかたの意識性になにか答えがあ
るようにも思うのです。日本では、死体への信仰が他の文化とくらべてなく、と
くに、儒教圏にみられる死体を辱めるというモラルもありません。首をさらすと
いうモラルはあるのですが。あと、日本近世は、他の文明と違った、独自の性風
俗(これがプラグマティックなエロティシズムとでもいうか)を作り出すのです
が、これも、死体への意識性から生まれているように思います。
なんだか、おおはずしの話になりましたが。
No*
ps 日本人は、血族婚が多く、同姓でも結婚しますので、儒教圏から見れば、こ
んなのは、犬猫の性道徳の世界に見えると思いますよ。
00633/00635 **G0***7 か** 江戸時代の仏教と儒教
( 5) 9*/**/18 18:43 00626へのコメント
か*さん、ど〜も。
森嶋説に関する見解、興味深く拝見しました。
私のある先輩が、ある時聞かせて下さった仮説なのですが、「徳川期以前の
思想的リーダーは、圧倒的に仏教関係者が多いのだが、徳川時代にはいると
仏教関係者はみな影を潜めたようにいなくなってしまう。その代わりに、儒
教が思想界をリードするようになる。それは、家康の深慮遠望なのではない
か」。
この見方、ちょっと面白いでしょ。儒教が仏教にとって変わる節目とでもい
うのでしょうか、徳川期のこの手の動きは何やらありそうな感じですね。
そこで基本的な質問になりますが、そもそも、朝鮮半島から日本に儒教が入っ
てきたのは、何時頃なのでしょうか?
面白そうだといいながら、何も知らないもので……(^^;)
か**