■デジクリトーク

日本の嫌われる私^^;

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 私事ながら、5月に結婚して引越しをした。未だにバタバタと片付かない生活をしながら、実家から少しづつ本を取り寄せたりして、自分の作業場 "ヲタク部屋ともいう" を作っている。

●懐かしい本
 先日、実家の本棚から本を選んでいて、懐かしい本を見付けた。「af.8 アクトンファイル98 −1997年ネットワーク事件・事故レポート」。何が懐かしいのかといえば、実は私の体験がこの本に載っている。"miscellaneous085"「マイクロソフトホームページコンテスト受賞者辞退」という記事がそれである。ご興味がありましたら、私の個人サイトの方を読んで頂ければよいのですが、簡単に説明すれば、webのデキを対象にしたコンテストに応募したら、受賞と引き換えにサイトの権利を全部譲渡します、というトンデモな契約書への署名を求められたので驚いて辞退、その後、主催者側が過ちに気が付いて、全受賞者に対し契約条項を改めた、という話です。私としては、主催者のマイクロソフトが、抗議した私に対してではなく、全受賞者に対して契約条項を変更して譲渡の要求を取り下げて、改めて使用承諾を求める、と約束したことがもっとも気に入ったのだが、私以外の誰からも苦情や抗議がなかった事は不思議なことであったし、当時は雑誌として発刊されていたワイアード上で、この事件を紹介しながらその事に言及したライターの方がいたのを憶えている。ただ、後から思えば、権利について鋭敏なセンスのある人は最初の募集要綱を読んだ段階で敬遠して近づかなかったのかもしれない。私の場合、写真雑誌等への投稿をしたことがある為、少しマヒしていて、改めて契約書を見て初めて正気になったうかつさがあったのであろう。

●通じなくなった歴史の一ページ
  懐かしさについ座り込んで読んでしまった。アクトンファイルという本は、今でも編集され発刊されているのであろうか? あれからほんの3年である。しかし遙に昔のような気がする。今では年鑑など書けないほど、良い意味でも悪い意味でもネットは盛況である。また、ネットに参加する人間にも良しにつけ悪しきにつけ、気負いやプライドなどはなく、"そこにあるもの"だからごく自然体で利用しているような気がする(電話を使うのに、いちいち心得や原理を考える人などいない)。だから、あの時の私のした事・考えた事なども通じなくなっているとは思う。少し前、そうあのビデオデッキの返品・修理のトラブルを告発した所謂"東芝事件"が世間を賑した頃、上記の受賞辞退の件について、私に対して得々とこう批評した「友人」がいた。「魚住さん、マイクロソフトに因縁つけて大枚せしめようとしたけど、失敗したんでしょ」・・・。空いた口が塞がらず、はぁそうかね。そう理解したければ、どうぞ。と思ったものである。

●幻滅した宴の夜
  それはともかく、あれは何年前だろう? 友人達と食卓を囲んだときのことだ。まだジョブスはアップルに戻っておらず、アップルの苦境は続き、マック用アプリが出難くなっていた頃だったと思う。新しくマックを買った友人たちの、その席での関心と話題は、誰の職場にあるフォトショッブのバージョンが一番新しいか、という事とそれをどのメディアに入れて自分達の間で配ろうか? という話であった。とんだところに同席してしまった、と思ったものだが、「正規ユーザーの前でそういう相談をするな(私は、2.5EからのPC版のユーザー)」と、帰り道で言う私に対し、「べつにいいじゃん」と答えた一人の声音・ようすを思い出してみると、それが悪いことと、彼らは髪の毛一本分すら想像しないのだろう、と思う。ソフトウェアというのは、「そこにある」モノで、インストールしたところで自分のマシンに何のトラブルも発生しない。互いが手に入るソフトを配布しあうのは、いわば自然発生的な共済行為であり、友情の証であろう。互いの友情を証明し、厚くして互いに便利になる。何の不都合があるだろう? そんな良い事に対して、どうしてはなっから誰も守っていない世間の勝手な決め事などを持ち出して気にしたりする必要などがある? なんで他人からとやかく小言を言われねばならぬ? というのが、彼らの「気分」であり、日本人の一般的な常識とか正義というものではないか、と思う。多分今でも彼らの間では、新しいPCやマックを手に入れた者に対して、友人としてお祝いに色々なソフトをプレゼントしあっているのではないだろうか?ハードディスクにあふれかえり、起動時にリソースが足りなくなるほどに。

●オフィスだって・・・
  他にも、オフィスの事例として、こんな光景が珍しくはないだろう。日本の何処のオフィスでも、多分PC購入は大流行であろう。さて、某企業で、某課長なりがノートPCなり買ったとしよう。すると、庶務係の方にはおそらくこんな相談が来るのである。「仕事で使うのだから、ソフトを貸してくれ」この声をうけて、「このパソコンで使っている表計算のソフトは何処にある?**さんも使うからフロッピーを出してくれ」と指示がされるのである。「いえ、このPCに入っているスーパーオフィスはこのようにインストールして使用中ですから、別のマシンにインストールはできません」「法的に問題がある? それだけで、別になんも不都合は起きないだろう」「兎に角だめなんです。金庫のお金をたばこ代に寸借するのと同じです。使用しているからお貸しできるソフトはないことを説明してきます」何処のオフィスの、誰の体験か、という質問・照会には一切答えない。誰にも迷惑をかけたくないし、あらぬ疑いをかけてもらいたくないのである。ただ、似たような事例は多分珍しくないだろうな、と思う。ソフトなど、そこにあるのである。自分の属する組織の業務の為ではないか、そこにあるソフトを使って、どうしていけない? 余所の会社なりが決めて押しつけてくる七面倒なお約束事なんかより、自分達がより便利に仕事ができる方が優先されるのは当然ではないか・・・。

●世に背くことを誓ってしまった私
  あの事で、私は"ソフト的資産の権利"という形而上で形のないものに対して、神経質になったし、ならざるを得ない立場に自分を追いやってしまった。自分の著作権という形而上な権利を守ろうとした者が、他人や他者の形而上的な権利を侵してよいだろうか? いやいや、良かろう筈がない。可能な限り、気をつけてしかるべきである。そのように考えるようになった事は、私にとって幸せだったのだろうか? パーソナルコンピュータというものが私のような変な人の道具から普通の人が持つものになった今、私はいつも無用なトラブルを生んでいる人間になっているような気がする。別に気にする必要もないのかもしれないし、気にしたからといって、どうしようもない話ではある・・・。心中そう思ってもいるが、世間の私を見る視線は冷笑を含んだものだろう、という事も想像はついている。

●独自ドメインも嫌われる
  上の事も、個人的には結構ヘビーなものだが、最近さらに面白い話を耳にした。私は、"mojiko.com"という地元紹介のサイトを作って、「mojiko.comから」というメールニュースを発行している。地元のニュースをできるだけ集めたいし、面白いイベントなら、手伝いもしたい、と思う。同じ阿呆なら踊らねば損だ。そう思って、色々と動き回っている。そんなことは、誰に頼まれたわけでもなく、自分の生れ育って住んでいるこの街が気に入っているからやっている事である。プロバイダーのサーバを利用していた個人サイトの時代から考えると、かれこれ5年になる活動であり、個人サイトのオーナーとして見本のような変遷だ、と思っている。ところが、この間知人に警告を受けてしまった。「最近になって怪しげな人間が怪しげな商売で儲けようとしている、と警戒をされているようだ。活動を控えた方がいい」と。うむむ、堅苦しい人間として嫌われ、好きなことを勝手にしていたら、あらぬ疑いをかけられて警戒されてしまうとは、どうにも困る。第一、商売にする手があるなら、教えて欲しいものだ。商才は、誰よりもない、と自負している。確かに、イベントの中には、脇から口を出してくる人間がいるとパイの分け方に支障が出る、というタチのものだってあるかもしれない。また、ネットなんか知らない人にとっては、一個人がネットのことを口にして近づくだけでも、十分胡散臭いだろう。知人は「プロには近づくな」とも言ってくれたのだが、その言葉の裏は、そのような幾つかのパターンを差しているのかもしれない。だが、悩んでもしかたがないタチのものである。どうせ地雷と同じで踏んでみないとどうなるのかは分からない。ならば、どうせ好きでやっている事である。嵌まったときは潔く吹っ飛ばされてしまうのを覚悟して、今まで通りに続けるしかないのだろう、と居直っている。
  何をしてもたどり着く先は同じ。日本の嫌われる私の再確認なのだ、と思う昨今である^0^

【うおずみ・こうじ】 uozumi@mxj.mesh.ne.jp
つたないながら門司港ポータル
http://mojiko.com
個人サイトはこちらに
http://mojiko.com/UOZUMI/

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日刊デジクリ 2000/8/1配信