チャイナ・ウォッチングというメルマガのNo.78号を読んで、今一つ疑問に感じたことを作者に書き送った感想文です。

Subject: 悪のスパイラルは悪いことなのか?

昨年より拝見している者ですが、一っ不思議な事があります。
現在の日中関係は、日本の首相が内政干渉を甘じてうけいれ
ねばならない程わるいのでしようか?

靖国神社をどう思うかは、日本人の問題であり、日本人の中で
見解が分かれるのは当然としても、さりとて外交上の都合から
やめるというのでは、余りにも卑屈な話で、それで中国人から
尊敬されるのだろうか?とても疑問です。

ましてやあんな誰を代表しているか分からない人民共和国なる
「山賊」まがいの手合いが、60年も前の功績をことごとしく言い
たてる為の非常識な要求を、真面目に聞く義理など、どこの国
にもまともな「市民」にもないと思います。
針小棒大の60年前の功績より、この60年の彼らの存在が人々
に与えた災役の方が、ずっと大きい気がします。


何についての感想だったのか、わからないでしょうから、該当部分を転載しておきます。

> ----- Original Message -----
> From: "mag2 ID 0000128828"
> Sent: Friday, December 31, 2004 2:00 PM
> Subject: ★2004年の中国★No.78 2004年12月31日<チャイナ・ウォッチング>
>
>> ***********************************
>> 「開発区之森」提供・無料メルマガ<チャイナ・ウォッチング>
>> 【バックナンバー:www.kaihatsuku.com/Extra/shreport/index.htm】
>>     No.78 2004年12月31日
>>         ★2004年の中国★
>> ***********************************
から
>> (1)日中関係の悪化
>> これに関しては別段説明の必要がないだろう。日本国内ではアジア杯サッカー
>> における一部中国人の「信じられない行動」(日本から見れば)が強烈なイメー
>> ジとして人々の深層心理の中に深く埋め込まれてしまったようだ。以前のメル
>> マガでも書いたとおり、こうした「ガラの悪い中国人、日本を憎む中国人」の
>> 映像はテレビ画面で何度も繰り返して放映されたこともあり、草の根レベルに
>> おける嫌中・反中の感情をかもし出すことになってしまった。一方、中国では、
>> 相も変わらず靖国神社参拝を続ける小泉首相と一部の政治家の「中国人民の感
>> 情を逆なでする言動」がメディアでとりあげられ、日本の右傾化が警戒心を持
>> って受け止められている。はたして来年はこうしたデッドロック(行き詰まり)
>> 状態を打開するための何らかのポジティブな動きが日中間に生まれてくるのだ
>> ろうか。残念ながら、私にはそう思えない。現状を見る限り、関係はさらに悪
>> 化しこそすれ、改善される兆しはまったくないといわざるをえない。まさに「悪
>> のスパイラル」状態だ。とはいえ、望みがまったくないわけでもないだろう。
>> それは小泉首相が靖国参拝を止めるという「英断」をすることだ。それほど強
>> い信念を持って参拝をしているとは思えない首相だけに、何らかのきっかけで
>> それを止める可能性がないわけではない。その何らかのきっかけがぜひ生まれ
>> て欲しいと思う。そうなれば、私が持論として展開しているように、日本を必
>> 要としている中国側から一連の対日友好政策が出されることも考えられる。そ
>> うなれば、少なくとも現在の「悪のスパイラル」には何らかの歯止めがかけら
>> れることになる。可能性は非常に低いが、あえてそうなることを期待したい。
>>

これについて、作者からmailを頂き、作者は二点自分の意見を述べられました。

・ 現在の状況の責任は、対中賠償もせず日中関係を放っていた日本の指導者にある。
・ 共産党のイメージについては、時代遅れのイメージを抱いている
 彼らは 欧米に留学した人間も多く、テクノクラートかつ日本の指導者よりも
  よっぽど世界と付き合いのある人間がいる

この指摘については、私の返信は下記のとおりです。

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** *様

歴代の日本の指導者の責任については、私も同感です。
ただ、民主主義国の「指導者」は、所詮は民意と離れることはできません。毅然とした態度を取らせない論陣を張り続けた「オピニオン」というものの責任を無視することはできない、と思っていますし、今まで彼らが反省したことは(人攫い国家をもって地上の楽園と宣伝した事も含めて)一度もない、と思います。

共産党のイメージについては、残念ながら**様とは私は、近代国家の政治家像が異なります。

20世紀以後の近代国家において、政治家として主権を担っている、と語れる資格は、「人権の天賦が当然とされる社会での自由意志の下での選挙」の洗礼です。
それがない政治家がいかに挙止が洗練されていても、優れた学歴をもっていても、それは私的な結社の力をもって社会を不法に支配する「山賊」でしかありません。

私は、小泉さんは立派な「僭主」だと思っていますが、それでも彼は選挙の洗礼に勝ち、主権を預かっています。
人民共和国の首領など、どんなに頭がよくても、紳士的でも、彼にもブレアさんにもブッシュにも、シラクさんにも、対等な立場でものが言える存在ではありません。

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この後、最新号のNo.79(2005年1月6日) において作者は私のMailでのやり取りについて触れられて下記引用の斜体の通り自分の意見を書かれていました。
正直、どうも私には釈然とこない感じがぬぐえません。

正直言って、「悪のスパイラル」について、一方的に日本だけに改善義務を課す考え方は、私には理解不能です。
私は漢籍によって育ったと思っている人間ですから、大陸には人一倍敬意も抱いているつもりですが、「悪のスパイラル」(悪意のキャッチボールと言い換えてもいいでしょう)状態について、一方的に他者の歴史観に介入・命令し、自らは憎悪を公教育という強制手段で国民に刷り込むという「隣国」(注.隣人ではなく相手は"国家"という権力組織です)の行為には何も問題を感じず、自国の人間には思想改造の必要を唱えるかのような姿勢は、理解しがたいものを感じてしかたありません。

日中関係の悪のスパイラルは、 これは改善するために日本人にできることは、残念ながら殆どない。と思います。だから、日本側からアクションがないのは妥当な行き方だと私は思います。
だって、「あいつを憎め」と強制力をする唯一絶対の権力が支配する世界の「命令されている」人々相手に何ができます?何もできないでしょ?

私は、現在の日中の政治的関係がここまで拗れた最大の理由は、かの「国家」が、自らの権力の正当性を他国への憎悪とそれによる自らの過去の成功におく、そこにある、と考えています。
生きている時間の上では、どんな成功にも時効があるのです。そして、友好や戦争も絶対の関係ではなく移り変わります。政治権力も、あくまでも「今の統治のための預かり物」にすぎません。
日中関係が安定するためには、大陸の政治権力が自らの権力の正当性を自由な選挙による民意に置くことが肝要だと思っています。そうすれば、民意をくむためには過去の成功物語ではなく、今日の成果と失敗と、明日の自国の発展のための約束とその実現に専念せざるを得ませんから、隣国との互いの不幸な時代の"気分”を永遠化させる無理も行う必要はなくなるでしょう。

また、何とか抵抗記念日だの、何とか勝利記念の年だの・・・。記念日なんて、いくらでも「都合で作れる」そんなものでしょう。
(たとえば、今年は私の生誕40周年。大変な節目の年なんです。 でも、だから、何? )
作ってことさらに言い立てる、というところ、すでに隣善友好の精神を省みない、一方的なご都合というものでしょう。
それは無条件に是として、さぁ、日本だけは変わらなければ、どう変わったら気に入ってもらえるか、という媚びた生き方をしなければならないほど、今の日本がみすぼらしい存在とは思えませんし、それで尊敬されるとは思えません。
 
(  -エチケットとして、今年は通州虐殺68周年という大変重要な節目の年だ、とか、
                 チベット占領**年とか、
                 大躍進で百万単位で殺戮何周年とか、
                天安門事件文句を言うやつは皆殺しの何周年だとか、
                                                私は言い立てない- )

記念日続きで現地の日本人は大変だ、というのは確かに大変でしょう。
でも、どうせ止めようもないのですから、 記念日だのなんだの、やりたいだけやらせるしかないと思います。
日本人は、堂々としていればよい。と思いますし、それしかないでしょう。
そのうち、笛を吹くほうも踊る方も、為にする自慰行為だと気がつくでしょうから・・・。


> ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
>
> ● 記念日のオンパレード
>
> 正直いって、在中国日本人にとって今年は居心地の悪い年になりそうだ。8月
> 15日の日本の敗戦、中国側からすると抗日戦争戦勝60周年記念をはじめと
> して、さまざまな過去の歴史に関する記念日がやってくるからだ。
>
> この戦勝60周年記念以外にも4月には日清戦争終結110周年記念を迎える
> ほか(台湾問題とのからみでこれを中国側がどのように政治的に活用するかが
> 注目される)、毎年中国では記念行事が営まれる日中間の歴史問題を浮き彫りに
> する過去の事件が、例年以上に強調されて日本に迫ってくる可能性が高い。
>
> 以下で、そのうちの主なものをあげてみよう。
>
> ◆7月7日の盧溝橋事件(1937年)
> ◆9月18日の柳条湖事件(1931年)
> ◆12月13日の南京虐殺事件(1937年)
>
> 10年前の50周年記念のときに比べれば、まだましかもしれないが、昨今の
> 日中関係を取り巻くマクロ環境の悪化を考慮すれば、予断を許さない状況が続
> くことになろう。残念ながら、年初からの動きを見る限り、短期的に希望を抱
> かせるような出来事が期待できない以上、中国に住む日本人としては注意して
> 今後の動きを見守る必要があるだろう(といってそれほどナーバスになる必要
> もないだろうが・・・)。
>
> とはいえ、こうした動きは何も中国だけに限ったものではなく、最近のヨン様
> ブームも手伝って親近感の増している韓国においても今年は過去の歴史が前面
> に押し出される可能性が指摘されている。さらには、国連を含む戦後体制に関
> する歴史的な節目ともいうべき重要な年を迎えることになる。
>
> そうした歴史的に重要な日付が、年末に掲載された朝日新聞の船橋洋一記者の
> コラムの中で紹介されていたので、そのいくつか紹介しておこう。(*1)
>
> ―国連創設60周年=1945年4月
> ―バンドン会議50周年=1955年4月
> ―日韓基本条約締結40周年=1965年6月
> ―広島・長崎原爆投下60周年=1945年8月
> ―日露戦争終結(ポーツマス条約)100周年=1905年9月
> ―閔妃暗殺事件110周年=1895年10月
> ―第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結100周年=1905年11月
>
> これを見ただけでも、今年はまさに歴史にからんだ記念日の「当たり年」とい
> った感じだ。こうした歴史が前面に出てくる今年、日本ははたしてどのような
> 態度でさまざまな記念行事に臨み、またどのようなイニシアチブをとればいい
> のだろうか。
>
> 本年最初のメルマガでは、このうちの中国に関連した事項に関する私自身の考
> えを明らかにするとともに、「書き捨て」といわれないよう、最後にある一つの
> 具体的な提案をしたいと思う。
>
> ● どう描く日本の未来像
>
> 冒頭で紹介した一連の記念日を前にして、われわれがまず考えなければならな
> いことがある。それは対中国も含めて、われわれが今後世界とどのようにかか
> わり、その中でどのような国家像を描き出したいのか、という点だ。
>
> その前に一つ大前提として断っておかなければならないことがある。それは、
> 私がこれから述べることが「日本は中国との関係を大事にしなければならない」
> という前提に立ったものの考え方であり、議論の進め方であるという点だ。
>
> 実は、昨年暮れも押し迫った頃に最近読者になったという方から「(日中間の)
> 悪のスパイラルは悪いことなのか」というメールをいただいた。昨年最後のメ
> ルマガで触れた日中間におけるロクでもない出来事の連続を称して私は「悪の
> スパイラル」という表現を使ったわけだが、その読者からすると、それは別段
> 悪くもなんともないということになる。もちろん、人の意見は十人十色であり、
> そういう考えの人がいても不思議はない。実際のところ、そう考えている日本
> 人の数は増えている可能性が高い。当然、彼らにとっては、今年が「歴史」的
> に見ていかに日本にとって居心地の悪い年になろうとも、たいした意味はない
> のかもしれない。
>
> しかしながら、少なくともいまの日中関係を憂い、「何とかせねば」と思ってい
> る人々からすると、とても放っておけるものではない。少なくとも私自身は二
> 国間関係の将来を非常に心配しており、何らかの手を打たなければならないと
> 思っている。はたして何ができるのか。
>
> それを考える際に重要なことは、先ほど問いかけた日本と世界のかかわりを今
> 後どうしたいのか、そして日本の国家像をどのようなものに描きたいのか、と
> いう問いに対する答えを自ら探るという作業だ。そしてその問いに対する回答
> は、当然のことながら、この先中国との関係を大事にすべきだという人とそう
> でない人の間で大きく違ってくるはずだ。
>
> ● 今後100年の計を見据えた戦略
>
> おそらく中国との関係がどうでもいいと思っている人々の多くは、現状維持、
> すなわち戦後60年間続いたアメリカとの同盟関係を基にして、日本の世界と
> のかかわり方を考え、その中で中国を含む、いわば二次的な意味を持つ国や地
> 域との関係を構築していこうと思っていることだろう。その考えに基づき、ア
> メリカとの同盟がしっかりしている限り、中国とどんな関係になろうとも日本
> の将来は磐石だと思っている可能性が高い。
>
> しかし、私のように戦後60年も続いた対米一本槍外交、あるいは単元的無能
> (脳)外交にそろそろ終止符を打ち、何とか日本独自の外交を打ち立てたいと
> 思っている人間にとっては、中国との関係は非常に大事なものとなる。日本が
> これからの50年、100年の国づくり、そして外交を考えていくうえで、中
> 国との関係がきわめて重要な要素になるからだ。
>
> はたして日本の現在の指導者はこれからの50年、100年を見据えたうえで
> どのような世界観を持ち、その中でどのような日本のスタンスを考え、さらに
> どのような国家像を描いているのだろうか。残念ながら、そこまで先を見越し
> て考えているとも思えなければ、明確なビジョンも出されてはいないような気
> がしてならない。相変わらず対米依存を基にした「惰性」あるいは「慣性」外
> 交の粋を抜け出せていないように思える。
>
> その日本の将来像を考えるうえで、少しだけ参考になるのが先ごろ発表された
> 防衛大綱の見直しだが、欧米のメディアがいみじくも指摘していたように、目
> 新しいものといえば中国を仮想敵国として明記したくらいで、根本的な変化は
> 何も見られない。相も変わらずアメリカさん頼みであり、冷戦思考から脱却し
> きれていないと判断せざるをえない。
>
> 昨年暮れに話をしたジャーナリストの知り合いによると、「日本の指導層はアメ
> リカに頼りきり」で、その理由は「いまだに(今後も半永久的に)アメリカが
> 最強国だと思い続けているから」だそうだ。はたして、日本の指導層の多くは
> そのアメリカの強さが今後50年も100年も続くと見ているのだろうか。ど
> うもそう考えているとしか思えない。
>
> ● 「ポスト一極時代」の到来
>
> ところが、世界を見渡してみると、世界はこれまでのアメリカを柱としたユニ
> ポーラー(一極)体制時代の終焉を見据えたうえでの「ポスト一極時代」に向
> けた動きを加速化しているように見受けられる。
>
> ご存知のように欧州連合(EU)はトルコといった欧州から見れば異文明圏に
> 属する国までも取り込み、独自の体制を強化しつつあり、アメリカに対抗でき
> る勢力にならんとする意気込みが伝わってくる。さらに9・11以後の「反テ
> ロ同盟」ではアメリカと共同歩調を取っていたロシアも、最近のウクライナに
> おける大統領選挙を見るまでもなく、次第にアメリカとの間に距離を置こうと
> している。さらに中国にいたっては、高度成長を維持するうえで不可欠なエネ
> ルギー資源や市場の確保もあり、世界の各地とのつながりを強化しようとして
> いる。その対象は欧州連合であり、ロシアであり、中央アジア諸国であり、南
> 米であり、アフリカ諸国であり、アセアン諸国であり、世界のほぼすべての国
> や地域との「全方位外交」を推進している。「ポスト一極時代」の到来に備えて、
> つまりこれからやってくるに違いない多元的世界に備えて、多元的外交を繰り
> 広げているように見受けられる。
>
> それに比べて、わが日本はどうか?90年代半ばにアメリカのキッシンジャー
> 元国務長官がその著書「外交」で予言していた多極化世界の到来に備えた大胆
> な発想もなければ、意気込みも感じられない。まことにお寒い限りだ。(*2)
>
> それどころか、いまだに世界の先行きが不透明な視界不良状態にあって、日本
> の伝統的なアメリカ頼りはますます強まっているようだ。さながら、旦那に見
> 捨てられまいとしてすがるお妾さんがあの手この手で旦那を引きとめているか
> のようだ。そのあの手この手の一つの手が先ごろの防衛大綱であり、その中で
> 中国を明確な仮想敵国にしたことだ。
>
> 同盟とは所詮、敵がいなければ存在しないものであり、本来ならばソ連が崩壊
> した時点で、日米安保の根本的な存在意義は消滅してしまったとはいわないま
> でも、だいぶ薄まってしまったことは確かだ。しかし、アメリカという旦那に
> 見捨てられたくない日本は、その本来消滅していて不思議ではない同盟を何と
> か維持するために、新しい敵をつくらなければならなくなり、そのために中国
> を仮想敵国にしてしまった。これでは本末転倒というしかない。本来であれば、
> 先に敵がいて、それに備えて同盟を結ぶはずなのだが・・・この矛盾、おかしさを
> 国民はどの程度知らされ、理解しているのだろうか。
>
> はたして、日米同盟維持のために中国をわざわざ仮想敵国にしてしまったとい
> う「拙策」が次の100年の計を誤らせることになりはしないのか。日本の進
> 路を誤らせる大きな戦略的ミスになりはしないのか。私は非常に心配だ。
>
> ● 一時代前の優等生
>
> 以前のメルマガで紹介したSAIS(ジョンズホプキンス大学高等国際問題研
> 究大学院)時代に執筆した論文の中で、私は次のように書いた。(*3)
>
> 「日本は明治維新以来の急速な富国強兵により、帝国主義時代の優等生となっ
> た。しかし、時代の変化に気づかなかったために、結局は新しい国家間ゲーム
> において落第生となってしまった」
>
> これを理解するには、少し解説が必要だろう。
>
> 日本が富国強兵に努めた時期はイギリスが世界の指導国であり、そのイギリス
> が中心となり維持されていた帝国主義のゲームの中では、秘密外交や二国間協
> 定などを特徴とするいわば「裸の帝国主義」ともいえるあからさまな力のゲー
> ムが繰り広げられていた。日本はそうした力のゲームを一生懸命に学び、最終
> 的には西洋列強も侮ることのできない強力なプレイヤーとなっていった。
>
> しかし、第一次世界大戦で疲弊したイギリスに代わってアメリカが新興指導国
> になると、ゲームの様相がだいぶ変わってくることになる。アメリカが持ち込
> んだのは、(さまざまな弊害をもたらし、第一次大戦を引き起こしたとみられた)
> 秘密外交や二国間協定などを否定した公開主義、多国間主義、法律主義、普遍
> 主義、道義主義、理想主義といったアメリカらしい特徴であり、第一次大戦後
> に開かれたワシントン条約などが皮切りとなり、アメリカが指導的役割を果た
> す(べき)新しい帝国主義のゲームが始まることになった。
>
> しかしながら、こうした変化に気づかない、あるいはアメリカが持ち込んだこ
> うした新しい手法を「力のゲームを隠蔽するための飾り物(=偽善)」としか思
> わなかった日本は、相も変わらず一昔前のルールでひたすら帝国主義的ゲーム
> を押し進め、自らの権益や力の及ぶ範囲を拡大していった。そして世界との摩
> 擦や対立を深めていってしまった。もしもあのとき、そうした変化をもう少し
> 真剣にとらえ、それに合わせようとする努力があったとしたら(努力はあった
> にはあったが、対欧米、対中強硬論の下に残念ながら消滅してしまった)、歴史
> はどう動いていたのだろうか。歴史に「イフ=もしも」は禁物といわれるが、
> ひょっとすると、少なくとも太平洋戦争は回避できていたかもしれない。
>
> ● アメリカの長期低迷と中国の台頭
>
> いずれにせよ、私が言いたいのは、今回もまた日本の世界の動きをとらえるテ
> ンポが一歩ずれているのではないのかということだ。戦後半世紀以上続いたア
> メリカの力を頼りにした単元(一元)外交が今後も機能するという前提に立っ
> て、これからの日本の国家像、そして世界との関係をつくりあげていっていい
> のだろうか。
>
> そもそも、アメリカが最盛期を過ぎているのはだいぶ以前から指摘されている
> ことだ。経済的には70年代の初期がピークであり、以来、アメリカ人の所得
> は実質ベースで下がりつづけているはずだ。50年代、60年代には男親一人
> が稼いでくる収入で家族全員を養い、家もプールつきの一軒家が買えていたの
> が、70年代以降はとても一人の収入ではやっていけない時代が訪れている。
>
> 私自身、80年代初期および90年代中期という二つの時代においてアメリカ
> 留学をしており、いずれの場合にもアメリカの長期的衰退は不可避のものと感
> じたものだった。80年代にはエール大学のポール・ケネディ教授が「大国の
> 興亡」を著し、アメリカの「オーバーストレッチ(勢力圏拡大の行き過ぎ)」に
> よる衰退を予言している。(*4)
>
> その後、IT革命による経済的ルネッサンスを経て経済的な覇権(プラス、ソ
> 連なきあとの軍事的覇権)を取り戻したかに見えたアメリカだが、これにして
> も、だいぶ前に読んだアメリカ人学者(だったと思うが・・・)が指摘していたよ
> うに、「今回のITによる経済的恩恵はだれかが意図したものではなく、あくま
> でも偶然の産物だった」のだと思う。例えていえば、死にかけた人が偶然モル
> ヒネを注射されて、一時的に元気になったようなものだと私自身は考えている。
>
> もちろん、あれだけの大国だけに、またそれに代わる大国が当分の間現れそう
> にない以上、短・中期的にアメリカが急激に衰退することは考えられないだろ
> う。しかし、長期的にはアメリカの力が弱まり、キッシンジャーが予言してい
> るような多元的な世界が訪れることは不可避だろうと思う。
>
> そのキッシンジャーは著作の中で、今後台頭する国として中国とインドをあげ
> ている。今後中国なりインドなりがアメリカに代わる超大国になるとは思われ
> ないものの、世界の強国グループの一角を占める大国になる可能性は十分ある。
> 特に中国にはその可能性が大いにある。であればこそ、その近未来の大国であ
> る中国をわざわざ仮想敵国とする戦略がはたして日本の将来にとって有益なの
> かどうか、非常に疑問に思わざるをえない。
>
> 昨年、明らかになったように経済的に見て、中国は日本の経済界にとってなく
> てはならない存在になっており、その補完的関係の強さにより、中国と喧嘩し
> て損をすることはあっても得をすることはほとんどありえない。わざわざ関係
> を悪化させることで直接的な利益を害するほか、今後100年の計を誤るので
> はないかと非常に心配になる。
>
> ● 一大歴史フォーラムの必要性
>
> その意味で、冒頭で述べたように各種の歴史問題が普段以上に表に出てくる今
> 年は、これからの日本の世界とのつきあい方や中国との関係を考えるうえで非
> 常に重要な年であり、それゆえに日本としても(日本が得意な)受身に終わる
> のではなく、(日本が苦手な)何らかの積極的な仕掛けをあえてすべきだと思う。
>
> そこで私が一つ提案したいのは、日中間、そして日本とアジア諸国の関係を考
> えるうえで過去何度も障害になってきたこの歴史問題を徹底的に話し合うフォ
> ーラムを開催するということだ。日中や日韓だけ、つまり二国間で話し合うと
> 公平さに欠けたり、水掛け論に終始する可能性があるので、ここでは欧米やオ
> ーストラリア、東南アジア諸国の専門家を呼び、場所もある程度、歴史的・政
> 治的に中立の場所を選び(たとえば、ニュージーランドあたり)、1日、2日と
> いわず、せめて1週間にわたり徹底的に話し合う場を設けるのだ。予算はすべ
> て日本が負担するほか(とはいえ、たいした額ではないだろう)、話し合いの途
> 中経過や結果はすべて公開として、世界の関心ある人々が自由にアクセスでき
> るようにすれば、われわれ、そしてわれわれの子孫にとっても大きな遺産とな
> るに違いない。
>
> 90年代の半ば、われわれがワシントンの大学院で学んでいたときは、日米摩
> 擦がピークに達していた時期にあたる。そのとき私が「日本の根本的問題」の
> 一つとして感じたことは、日本に関する何らかの論争があっても日本側が日本
> 国内でうじうじと、しかも世界に通じない日本語でもって反論をするというこ
> とだ。これでは世界に何のインパクトも与えられない。
>
> 上記フォーラムでは、そうした日本の「引きこもり」的体質から脱却するため
> にも、経過や結果をきちんと英語や中国語、韓国語などでもアクセスができる
> ようにして、日本側のスタンスや考え方が世界にちゃんと伝わるようにしなけ
> ればならない。日本語という非関税障壁に守られたままで主張したとしても、
> 所詮それは負け犬の遠吠えでしかない。
>
> 過去の歴史解釈について反論・異論があるのであれば、その場で正々堂々と議
> 論を展開し、世界のマスコミや世論に訴えかけて、判断してもらってはどうだ
> ろうか。東京裁判の妥当性、日本がしかけた戦争は単なる侵略だったのかどう
> かの判断、さらには南京虐殺の真相究明など、日本側から見ても話し合いたい
> 点、はっきりさせたい点は山ほどあるはずだ。
>
> 戦後60年が経ち、数々の新しい判断材料も出てきているはずであり、それを
> 専門家諸氏が持ち寄って議論を重ねてみてはいかがだろうか。今もなおバラバ
> ラでコンセンサスの出来上がっていないこの厄介な「歴史問題」において、何
> らかの共通の視点や理解、認識が生まれる絶好の機会になりそうな気がするの
> だが、いかがだろうか。
>
> これからの日中関係(そしてその他のアジア諸国との関係)をよりましなもの
> にするためにも、私は今年、日本がリーダーシップを発揮して、こうした「環
> 太平洋歴史認識会議」を開催することを強く提案したい。戦後、数々訪れた歴
> 史的機会をこれまでことごとく逸してしまった日本の非積極的外交を改めるた
> めにも、こうした大胆で意義のあるプロジェクトを推進することを心から祈り
> たい。
>
> 今年めぐってきた敗戦60周年記念というチャンスを決して逃してはならない。
>

 

*ちょっと変痴気論らしいことを最後に

私は、大陸世界がその気になれば、世界の半分は喜んで門前に馬を繋ぎ桃園の誓いをする日がくるだろうと思っていますし、怪しい言い方をすれば、勇気があれば大東亜共栄圏は明日にでも誕生する、とも思っていますが、残念ながら、この半世紀の間に、その盟主たる器量をかの世界の権力から見たことないです。
極東の奇国たる日本の思想人には、チマチマとした愚痴のような反米思想を汎世界への夢に摩り替える空しい知的作業より、大陸の権力を叱咤激励して鍛えあげる役割を期待したいところですが・・・。