"例の"東芝暴言サイトの問題について

魚住@(survey@ml. )MLの議題から踏み外してしまった張本人ですm(..)m
ご迷惑でしょうが、この一回ご容赦ください。

*谷様
>「世間」とは何かというお尋ねがありましたが、ある社会の固有の歴史の中で、
>自生的に形成された規範的な雰囲気とか、何か、そんな感じのものでしょうか。
>西部さんの本でもひっくり返すと、良い定義が出てきそうです。

これは、西部氏よりも阿部謹也氏が直接的に自身の社会科学の課題として研究したり発言さています。 一番最近のエッセーが、たしかずばり世間論だったと思います。
「日本社会で生きるということ」
という題名だったか、と思います。 (もし、もう何方かから阿部氏の著作について紹介が入っていた ら、失礼しました)
日本社会では、謝罪は「恐れ入っている」という恭順の意を表 わすもので、何事であれ、体験後の対外コミュニケーションの前提でしょうが、これは、日本社会全体が「共同体」である、と構成員が皆で考えていた「世間」だから成り立っていたものでしょう。
  が、「他人の集り」である「社会」では、謝罪と賠償は表裏の関係 だったと思います。ユーラシア大陸でも新大陸でも。 謝罪という行為をする時、正反対の二つ基準がある事が、日本人にとっては一つ大きな罠になっている、と思います。
(もっとも、場合によってはそのすり替えを狡猾に利用したりもして きたと思いますが・・・。)

ところで、

> 望むらくは、本件を通じ、武谷さんや「世間」の方々が、
>  「ロジック、ファクト、エビデンス」 > をもっと重視する方向に変わりますように。

との大田先生のご意見ですが、 対企業・経営へのアドバイスとして妥当だと思いますが、 私は、どうしても今回の場合は、別の側面の方を重視してしまいます。
  ハンドルネームの使用というのは、「私は情報を操作します」 との公然とした宣言に等しい、と私には思えました。 (操作という言葉に語弊があれば「管理」と言い換えてください) 一方は、経営内容も含めて「公開が原則」の組織であり、我々は、その組織の旧罪も知り、前科者、と指摘する事だってできる*1存在なのに対して、交渉する片方には、「情報を(操作)管理して提供する」行為を容認している。 これはとてもフェアではなく、一般原則が言える状態ではない、 と思えるのです。
  公式な裁判になれば、裁判長の前に両者は対等に情報提供を求 められるでしょうが、現実に発生してフィバーしていたのは、 「文革ごっこ・人民裁判ごっこ」による東芝パッシングとしか思えませんでした。
「消費者主権」という言葉がよく使われますが、主権者が主権者たる振る舞いができているのか?と考えると、あまりに軽々しく、「不良品」の「不買」のと、一方の死活にも関わるはなしが 飛び交っているのは、非常に危険なものに思えてなりません。

  それから、 宮田様、 S-VHS簡易再生についての説明ありがとうございます。 ただ、私はこの説明を始めて受けましたので、念の為に久しぶ りに各社のカタログを集めてみました。 「再生できる」という説明はありますが、”通常のVHS並” の画質で、という言葉はありませんでした。 私には、やはり再生の質を保証しているとは思えませんし、 その必要があるとも思えません。
よかったら、直MAILで結構です、この定義の出所を教えてくださると幸いです。

あと、 永安様
>> が、どうして「不良品」になるのですか?なぜそんなことに正規
>> のクレームができるのか、私には分からないです。
>論点がずれてきていると思うのですが。
  ご指摘,ありがとうございますm(..)m ただ、いささか居酒屋での雑談的になりますが、
>それが製品の仕様範囲内であれ仕様範囲外であれ、クレームを「対処する」
>と受けてしまった以上、それはきちんと対処されるべきで、逆にそれがだ
>めなら最初から「それは仕様外なので対処できません」と言うべきでしょ
>う。

というのは、全くその通りですが、現実には困難だろうな、と思います。
「仕様外なので対処できません」といって、尾を引くより、対処してしまう方が、合理的な場合も多いですから・・・。
 私、貯金屋さんの窓口係でしたが、本来なら出来ない解約でも、客が猛れば それだけで受けざるを得なくなる、という事例、いろいろと有りました。
 客が怒れば、無条件に怒らした職員が悪い。無理を聞いて、正規ではない事をして問題が発生しても、無理を聞き入れた職員が悪い。という、「無理が通って道理が引っ込む」的事例は、接客商売をする全ての人が、大なり小 なり体験していると思います。
  客は、自分の要求が「通ればそれでよく、他のことは関係ない」わけですから
(上は、私は直接言われたことがある言葉です。いつ、誰に、は憶えていませんから、信頼性は低い−私の発言自体がそうか^^;-のですが)
  仕様上とか、 広く社会的に約束しているルールとか、彼の眼中にはないし、自分が考慮す る必要だって認めていない、という人、結構いるわけです。 接客のマナーは厳しく要求されても、客のありかた、というマナーは、公式 に要求はされず、訓練される機会もないのが日本の社会です。そこに「消費者主権」が言われ、匿名で批判するのも、もろ手をあげて良いことだ、とい う状況になればいったいどんな消費者が最も利益を上げる様になるのだろうか?と考えると、やはり私は憂鬱です。

力ができた、ということは、
それをどう使うかを考えねばならない義務が生じた
ということだと思います

 

1999年7月27日 8:00 「Re: [survey:3155] Re: 東芝謝罪へ」

太田様、おはようございます。
名前間違えまして、申し訳ありませんm(..)m
各所でお名前拝見しているのに、大ヘマをしてしまいました。

> なるほど、そんな体験がおありだったのですか。私は魚住
> さんに、同情してしまいました。

 ありがとうございます。まあ奇矯な人間が大げさに言っていると思われてもしかたないでしょうが、参考になれば、と思って恥を さらしてみましたm(..)m
 文書でちゃんと公開してますか?という点は、通帳・証書それにチラシ類 を見てもらえば、遠慮がちな一文があります。 もっとも、それを話しても、 「私は聞いたこともないし、窓口で今始めて聞かされた。今まで黙ってい たそっちが悪い」と言われれば、「申し訳ありません」と続けざるを得ない のが売り子というものでして・・・。
 私の場合、要求は受け入れない、説明は懇切丁寧にする、という対応を心掛けたのですが、これが、逆に火に油を注ぐだけになることは大体想像していただけると思います・・・^^ ;「すまないなら、なぜ俺の言う通りにしない!!」って反応も、あるわけです。(これ、論理的には、全く正しい)
  結局は、課長なりが出てきて頭を下げつづけ、今回限りでお願いします ね、とくれば、その対応、恐れ入っている様は誠に良心的、誠意がある、 いやねこちらこそ言い過ぎました、申し訳無い、ってな感じで双方頭を下げて丸く収まるわけです。(私には、正直不思議な風景でもあったし、それが 相手の謝罪であれ、私の謝罪&始末書であれ、白黒がつかないのは、不満でもあったわけですが、日常生活で互いに謝っている方が居心地のよい自分も確かにいるわけです。)
  上司から見れば、「皆に守ってもらっていることを、例外なく守ってもらう のが顧客に対する誠実である」と考えておよそ柔軟でない私などは、誠に困った君だったと思いますが、まぁ日本社会のタブルスタンダードの実例をふんだんに体験できたのですから、社会科学ファンとしては、きつくてもよしとせねばならないでしょう。(今だから、言えますけど)
  結局、グローバルスタンダードと現在呼ばれているもの(より純化した近代資本主義社会と私は捉えています)と、所謂「世間」とでは、誠実という徳の方向が異なっているわけで、日本で経済活動をする、ということはその二つの徳の調整役になることでもあるわけです。とうぜん、ファンダメンタリズムから見れば、どっちの方角から見ても、ダーティな八方美人。
  そういうわけですから、

> >  「ロジック、ファクト、エビデンス」 の重視
を全く否定しないのですが、 日本人の社会は、規範自体の一義性を可能な限り隠蔽して、その場その場の調整でその場をしのぎ、総体として波風が立たなくしようとしている、と私は 解釈しています。このようなエートスが作る社会にたいしては、一義的な規範を いかにスマートにたどれるか、という面だけで分析するのは、「洪思翊中将の処刑」のような、いわゆる真理・真相とは無関係な分析・断罪と、空しい判決文 が積み重なるだけなんだろう、と思います。

 と、卑俗な話から途方も無い風呂敷を広げてしまい申し訳ない。
  さて、匿名の問題ですが、「匿名の是非」という点も、私の意見は、これも結局 同じで、WEBにあるとおり、自分が同じこと過去やっちゃったもんだから、体験から考えるに、やはり名乗りはあげるのが発言者の義務だろう、と確信しているわけです。

  確かに、怖い、不安という話は分かるのです。私ですら怖かったから^^;
 でも、だから、大衆にまぎれてものを言う、というのは、やはり対等な対話 というものは成り立たない、と考えます。 彼は、茶飲み話で「酷い目にあったよ」といっていたわけではなく、相手の商売は間違っている、謝れ、と告発しているわけですよね。
  彼、交渉を求めている。 明快な経済問題であり、自身の行為によって、相手は企業として致命的な経済的損失を受ける可能性もある訳ですね。 そんな場を設定した社会人が、「でも、私は何のリスクも負いたくない」ですか? それが成り立ってよいか、成り立つことはどういうことか?くらいは、私は考えて欲しかったし、自分が前例になる、というくらいの意識ももって欲しいと思い ました。
親という別の市民の庇護下にある幼児ではないのですから。
  自己の名で経済活動等、社会で活動して、危急の場合には、主権による保護も堂々と求めるうるし、正当防衛もやむない場合は認めらる、権利をもった「市民」 ですよね、AKYYと名乗った方は。
   面映いし、怖い話になりますが、「自由を与えよ」と叫ぶものは、言わずもがなの前提として「しからずんば・・・」を、必要ならば私は言わねばならないとも覚悟を決めています。と世界に宣言する必要があるでしょう。それは、そんなことはないように、市民ならば戦ってくれるはずだ、という自分達の作っている世界を信じていることを表明する、という事なんだろうと思います。
つまり、世に問う、とは、そのような信頼の表明と表裏の行動なんだと思います。
  彼は、我々と我々の市民社会を信じようとはしなかった。だから、私に市民と して彼を信じる義務は、ない。と私は判断しました。
匿名告発は、例外的な事情を除き、基本的には、共に社会を作っている同胞にたいする「侮辱」だと思いませんか? (と、大風呂敷が破れそうなところまで広げて、少し逃げを打ちますが^^;)

  無論、特別な事態のど真ん中での緊急非難的なものは除きます。
  でもねぇ、太田先生は、「総会屋さん=ヤクザ屋さんを養っていた「前科」が 「公知」の東芝さん」とまでおっしゃって、ヒットマンかなにかがAKYY氏のもと に行きそうな事をおっしゃいますが、その話、どれだけ現実味がありますか? 私のもとに、OSのアップデートを装ったウイルスが送られた可能性と、どちらが高いでしょうか^^;

 確か、初期のインターネットには、太田先生が言われる「「前科」が「公知」の 東芝さん」どころではない、本当のマフィア・テロ・ジェノサイドの只中からの良心の声とSOSを受けとるために匿名にしてくれるサーバが用意されていた、 と思います。 しかし、その仕組みは、インターネットの「匿名文化」によって強化されたのでしょうか? 私は、誰も相手にしないもの、無意味なものにされてしまった、とい う結末だった、と聞いたことがありますが・・・。

 

1999年8月2日 21:56「Re: ご投稿読ませていただきました。」

*谷様 MAILありがとうございました。北九州の魚住です。
月末ということもあり、ご返事遅くなって、申し訳 ありません。
あまり、誉めないでください。世間的に見れば、 奇矯なことを言っているだけですので・・・。

 *谷様の「倫理」の重要性、という指摘、そのとおりだと思います。
ただ、この場合の「倫理」の中身、方向性が、問題になる、と考えます。「倫理」という徳の取引の相手 は誰なのか?という事なのです。
  日本社会の場合、それは第一に目の前の相手でしょう。が、資本主義の徳の取引相手は、極めて抽象的なルールです。
*谷様は、M.ウェバーというドイツの人をご存知でしょうか?
氏が近代資本主義の誕生を研究した 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 という名著があります。 これを読んでいただきますと、 「資本主義が必要としている倫理」の特異性や峻厳さがご理解頂けるかもしれませんし、また、その倫理が所謂「世間の倫理」といかに方向が異なっているか、もご理解頂けるかもしれません。
 もっとも、この本は大変難しいものですから、私には、 正直なところとても読解している、と言いきる自信はありません。私が偉そうに言えるのは、小室直樹氏 の一連の著作のおかげです。もし、手に入るのでし たら、「日本資本主義崩壊の論理」が一番お勧めです。
  近代社会の三大要素である、「資本主義」「民主主義」 「近代法」は、三位一体のセットであり、近代社会という枠組み自体が、プロテスタンティズムの一変形、と考えております。ですから、スミス(彼は、元々倫理学者ですね)以下、近代経済学が前提にしてきた「倫理」という ものと、日本の倫理は異なっているのです。
  明治を組上げた日本人は、そのことに気がついており、 懸命にエミュレイションしてきた事の成功した姿と、蹉跌が昭和二十年までの日本だった、と思います。

  それで、正直なところ、その後の日本、所謂戦後というも のは、倫理的にはそれまでの百年余の遺産を食いつぶ しながら逃避してきただけに過ぎない、そういう自己に対 する正当化をヒステリックにひたすら行うのが、日本人の倫理に対する態度である、というのが偽らざる感想です。
  日本人とその社会とは、「倫理」に対して、対価も払わぬ純粋な消費者、取って食らうだけの存在であり続けようと している、と考えています。
そういう意味では、絶望的な思いも幾分持っています。

 おっと、話が変な方角に流れてしまって、申し訳ありません。 こんな奇矯な漫談しかできない人間ですので、あまり注目 しないでくださいm(..)m

魚住耕司

以下に対するお返事として、上の最後のものを書きました。


----- Original Message -----
送信者 : Hikaru *
送信日時 : 1999年7月26日 22:03
件名 : ご投稿読ませていただきました。

> surveyMLでは、あれ以上は政治哲学の議論になってしまいそうで、主旨から外れ ますので、MLに返信するのは控えました。
> > それに、太田さんとのやり合いは接点が見いだせないまま泥沼に入りそうな感じも あったので、回避しようと考え、東芝についての発言は打ち止め
> としていました。
> > というわけで、直接、魚住さんにmailさせて頂くことに致しました。


ただ、以下の部分ですが、私も深く勉強しているわけではないのですが、例えば、 ハイエク(スミスも)は国家という自生的な秩序の大切さと、伝統文化がもたらす効率性ということに言及していますので、資本主義のモデルとし ては、あくまで国民国家や伝統文化の枠組みの中にあるのだと思 います。「グローバルスタンダード」というのはどちらかというとアメリカ的に俗流化された資本主義という感じをもっています。
結局、グローバルスタンダードと現在呼ばれているもの
(より純化した近代資本主義社会と私は捉えています)

資本主義では、法の前の平等は大切ですが、それ以上に道徳の前の平等が貴重であ り、スミスはその辺を強調していたように思います。

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余談1

社会を見るには、社会に存するにしかず、と18から社会に出ると決めて、気がつけば16年。
あと二年もすれば、
「おまえが生まれた年に、俺は働き出したんだ」
という"お約束"の小言が言えるようになってしまった(もっとも、その頃は民営化で、職場が消えてしまっているでしょう^^;) 事に驚いていますが、 このポジション取りは成功だったし、私にとっては得がたき貴重な富をもたらした、と明言できます。
 ですが、
MLとか、ネットで発言するとき、あまり体験を生に喋るのは、好きなことでも良いことでもないと思っているのですが、どうも最近書くことが多くなっているような気がします・・・。
体験というものから仮説としての抽象的なもの、一般法則的なものを蒸留してみる力が乏しくなっているのかなぁ、と思うと、年なのかもしれません。やだねぇ・・・。